このブログのタイトルと被るところでもあるのですが、私は人生において『介護』と関わらずに生きていくと決めています。
『介護』をすることも、させることも嫌だと思っています。
昨今、介護からなる様々な事件が起きています。
『介護疲れ』。私はこの言葉が大嫌いです。自分の親しい人を疲れさせ、狂気に陥らせる悪魔の言葉。
もちろん、介護される側の人は、好き好んで介護される状況になったわけではないでしょう。誰でも病気や老いを避けることはできませんから。
ですが、だからといって黙って受け入れるものですか?仕方がないと諦めることですか?あなたの大切な人に苦労をかけることを黙って受け入れさせるのですか?
私は全力で拒否します。
だからこそ、私はまだ30代ですが、すでに老後を見据えた生活を送っています。
まずは健康です。ここでいう健康とは、自由に体を動かせる状態です。病気が無いのに体の筋肉が衰えて動けないのでは病気と変わりません。しっかり自分の日本の脚で歩けること、走れること、行きたいところにいけること。これが健康です。
その健康のために、ジムに通い始めました。老後に残せる筋肉を作るためです。ジムに通うことは投資です。老後のための投資なのです。
食事もです。私は今はほぼ白米を常食していません。外食で付き合いのある際、メニューにご飯ものしかない場合のみ食べます。基本はオートミールです。糖質制限をし、健康状態を維持していきます。
次にお金です。資産形成です。
自分が生きるために必要なお金を、他人(家族)に出させるなど恥です。自分が生きるのに必要なのは自分で用意すべきです。子供じゃないんです。誰かに食わせてもらうなど、論外もいいところです。
施設に入るにしても、自分の財布から金を出すべきです。金がないのに施設に入る権利はありません。
痛ましい事件を耳にするたび、「介護ってなんだろう?」と考えます。
大切な人に長生きしてもらいたいから?そのために自身を削ることになっても?
結論は簡単には出ません。ですがそのうえで、出している結論は一つあります。
「大切な人に苦労させたくない」
私は、もし介護を必要とするような体になったのなら、自殺する気でいます。
そもそも、介護が必要となった人生に、何の意味があるのですか?何かにつけ誰かの手助けを必要としなければならず、それで人生を楽しんでいると、迷惑をかけて楽しんでいるなどと抜け抜けと言えますか?
私は、安楽死の法制度を望みます。以前、どこかの動画で家族に見守られながら医師に注射され、死を望み、そして死んでいった男性を観ました。「これだ!」と思いました。これから先、平均寿命が延びても、健康寿命との差が大きくなればこういった声は大きくなると思います。
内容、言い方に批判もあるでしょう。ですが、厳然たる事実であり、避けられない問題であり、そして自分だけの問題ではないこと。それを真剣に考えたうえでの私の考えです。この考えに批判意見がある方は、「ならそれはどうやって解決していくべきか」の考えも付けてください。それが無いのは思考停止と変わりません。何かしなければ問題は解決しません。糸口も見えません。
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