人生の避け事~不要な人間関係~

参加したくない呑み会・遊びの誘い

嫌々ながらの家庭行事

仕事を押し付けてくる部下・上司

世の中の人間関係とは、メリットもあるけれどそれに見合ったデメリットがつきもの。

ならば、そのデメリットはできるだけ避けた方が人生にとって良いことなのは言うまでもない。

ここでは、そんな避けた方がいい人間関係として、

①友達

②家族

③まとめ

を私の経験談から述べていく。

①友達

幼いころから作ることが当たり前の友達。

しかしながら、友達という関係はできるだけ厳選しなくてはならない。

友達という枠組みと、知人という枠組みとに分け、無用なかかわりあいを避けるのだ。

そんな友達という存在のデメリットを挙げる。

1)いたずらに時間を消費する

友達という存在は、やたらと外に出たがる。

それも群れて。

それに付き合わされて消費するのは、あなたの命ともいうべき大切な、時間という資産だ。

さて、そうして時間を消費した価値はそこにあったのか?

あると断言できるならいいだろう。

しかし、返答に詰まるようならそれは無かったと言っていることと同じだ。

大切な時間を費やし、何も価値がない。

これほど虚しいことはあるか。

かといって、友達から誘われて断るということは難しいという人もいる。

何故難しいのか?

それは、断ったことで相手の自分に対する心証を害し、次に接したときに気まずくなるのを恐れるからだ。

だがそんな恐れなど、何の心配もない。

何故なら、あなたの時間を無駄に消費するだけの誘いをしてくる相手など、そもそも友達などではない。

誘ってきておきながらあなたを楽しい思いにできなかったのは、とどのつまり相手が自分勝手な都合に付き合わせただけ。

それでもあなたはその人のことを友達というか?

こんな関係ならさっさと避けよう。

そしてあなたの命の時間を大切に自分のために使うのだ。

私の場合

まず友達という存在が極めて少ない。

精々二人だ。

そうなるとどうなるか?

まず誘いが無い。

仕事帰りも、休日にも、まったく誘いは無い。

2~3か月に一度食事に行くくらいだ。

だが、そのおかげで私はたっぷりと時間がある。

「時間が無い」という言い訳など全くの無用。

そのうえで朝活もして時間を作る私の一月の自由時間は

一月30日 平日22日 休日8日とした場合

平日 朝3~5時 夜7~8時30分 計3.5時間

休日 朝3~20時 計 17時間

、一月合計 213時間

となる。

これだけ時間があればいろんなことができるのは間違いない。

事実、私はこれだけの時間を好きに使っている。

ブログ・小説の執筆、ジムトレーニング、散歩、読書、買い物…

予定も無いからいつでもこれらのことをできる。

時間に煩い私にとって、他人との予定はストレスMAX。

それだけでも、大いに友達が少ないことのメリットは大切だ。

2) 友達の価値観

上記のような誘いをしてくる友達の価値観というものは、あなたとはかけ離れている。

まず「遊ぶ」という価値観において、あなたは友達と合っていない。

合っていないから、遊んだことに価値がないと感じるのだ。

それ以外はどうだろうか?

友達に対する価値観。

人間関係に対する価値観。

お金に関する価値観。

仕事に関する価値観。

これらは一例だが、あなたとどう違うか?

あえて私から避けるべき価値観の具体例を挙げよう。

「俺たち、友達だよな?」・・・友達関係の強要

「俺、全然だめで~」・・・自分に対する自己肯定感の低さ

「会社行くのがつらい」・・・働くことへの不満

「金が無い」・・・事実か否かは問わず、こういった発言

「国が~上司が~」・・・自身の状況を第三者のせいにする

こういった価値観は是非とも避けていただきたい。

そして、あなたにもこういった価値観は捨てていただきたい。

こういった価値観は不幸への一歩だからだ。

私の場合

私は友達にはある一定の基準がある。

それははっきり言えば、上記の価値観が無い人間のことだ。

まったく相手にそれが無いわけではないが、明らかにそれを重視した発言は少ない。

そういった発言が少ない、あるいは無い人間との付き合いは非常に楽しく、また彼らの価値観は大いに参考になるものがある。

そのうちの一人は子持ちだが、その人はその子供のエピソードのことも褒めるが自分も褒めるのだ。

この自分も褒められるというのはとてもいい価値観だ。

自分で自分のことを承認できる。

その価値観を持った人はなかなかにいない。

とても大切な友達だ。

さらに、この二人の友達の特に素晴らしい価値観。

それは、「相手を否定しない」ということだ。

真向から「違う!」など否定せず、黙って聞き入れてくれる。

そのことにどれだけ私が救われたことか。

だからこそ、私は数少ない友達を大切にしていく。

そのささやかなお礼で食事代を奢ることもある。

これは必要な出費だ。

奢っていい顔をしようというのではない。

命の時間を付き合ってくれたお礼としてだ。

②家族

家族も、不要なら避けるべき関係だ。

世の中には家族とは縁が切れない、どうしようもないと嘆く人もいる。

確かに社会的つながりは消えないが、物理的に距離を置くことは可能だ。

ここで重要なのは、顔を合わせないことである。

顔を合わせず、会話をしなければそこに人間関係など合って無いようなものなのだから。

ここでも大事なのは価値観。

いくら家族といえば価値観は違う。

特に親とは、自分が外に出ていくに従い乖離していくことがわかるようになってくる。

もしあなたの親が、「親の言うことは絶対!」などという親至上主義ならば今すぐ離れよう。

そもそも子供は親の持ち物ではない。

子供に親の言うことを聞く義務はない。

子供に言うことを聞かせる権利は親にはない。

「親」とは、その字のごとく「木」の上に「立」ち「見」守るのが本来の親としての役目。

木から降り、干渉してくるなどあってはならないことだ。

そんな親が持つ『親としての価値観』を、あなたは受け継いではならない。

親としての領域を踏み越え、過干渉する親の下に居続けた子供は、自己肯定感が低くなる。

自分がしたいことを主張しても、親は大抵それらを否定する。

「子供が言うことを聞かない」などと愚痴る親を見かけるが、当たり前だ。

子供が親の言うことを聞かなくてはならない道理などない。

その価値観を、今すぐ捨てるべきだ。

だからこそ、上記のような干渉してくる親がいるのならあなたは今すぐその親の元から離れよう。

そんな親の元に居続けても、あなたは親の都合のいいことに使われ、あなたの人生を生きることができない。

私の場合

私は先日、親を避けた。

避けたというのは、家庭内で接触することを避けた、ということではない。

家を出たのだ。

黙って。

置手紙だけを残して。

以降、一切の連絡はしていない。

私にとって、親と言う存在はそれほどに避けたい存在だった。

二度と接触したくない。

そんな思いだ。

私にとっての親は、正に上記のような存在。

親の言うことを聞くのが当然。

親の都合のいい存在なのが子供。

私は、「私」でいることが否定されている。

そんな気持ちだった。

彼らは「私」である必要は無い。

「子」であるから必要なだけ。

「親の言うことを聞け!」

「家に金を入れてくれればそれでいい」

これを聞いて私の心は決まった。

誰にも話さずアパートを探し、荷物を毎日の通勤に合わせて運び入れ、置手紙一つで家を出た。

私にとって親は親ではない。

赤の他人よりも遠い存在だ。

赤の他人のほうがこれから分かり合える可能性がある。

親とは分かり合えない。

赤の他人が0という関係なら、親とはマイナスだ。

そして、そんな親の下で育った他の兄弟、親戚も同様だ。

同じような価値観を持っている。

平然と同じことを言ってくる。

私はただ親との関係を避けただけではない。

家族親戚すべてを避けた。

今後も避け続ける。

親が死んでも葬式に出ないと決めている。

結婚しようとも親を呼ぶことはしない。

もちろん兄弟も、だ。

私は一生、家族を避け続けるのだ。

それで避けた意味はあるのか?

もちろんある。

家に帰っても自分を否定された環境から出たことでようやく私は、自分を出すことができた。

このブログも自分を出すことの一環だ。

様々なことに挑戦する気概が持てた。

ここに挑戦しているのは、私自身だ。

「子」などではない。

「私」なのだ。

「私自身」が社会に向き合っている。

否定されない環境になっただけで、大きな変化を得ることができた。

まとめ

人生において、最も避けづらいだろう二つの人間関係を述べてきた。

友達も、家族も、避けたところで大した問題ではない。

あなたが抱える問題に比べれば取るに足らない。

友達と、家族と、あなた。

どれが一番大切なのか?

間違いなくあなただ。

自分自身だ。

優先順位の第1位は自分だ。

あなたが避けたいと思えば、遠慮なく避けよう。

人生の困りごとを避けよう。

避けていいのだ。

立ち向かう必要などない。

あなたは別に、世紀の大英雄になりたいわけではないだろう?

自分を大切にするその一歩を踏み出せば、立ち向かう力はいずれ付く。

今は避けよう。

それが、あなたの人生を生きるということなのだから。

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