人生の避け事~クラウドファンディング~

クラウドファンディングは恐ろしい。

こんなにも恐ろしいものとは思わなかった。

購買欲刺激がすさまじい

今までの製品とは違う!

という点をこれでもかと主張してくる。

クラウドファンディングの特徴である独自制作という観点から見ても、それが従来通りではない(そもそも従来通りなら普通に市販されている)から、そこに真新しさを感じる。

つまり珍しいのだ。

この珍しさが、購買欲を刺激する。

「今までにない特徴!」という売り文句があちこちに散見している。

商品を知れば知るほど、購買欲は高まる。

留まることを知らない。

そして失うのだ。

その特徴が自分に必要なのかという冷静さを。

私は過去数度、クラウドファンディングで購入してきた。

……そしてそれらはすべてもう手元には無い。

使って気づいたのだ。

別に要らない、と。

あれほどちりばめられた今までにない機能が、自分には全く必要が無い物だということを。

私は気づけなかった。

気づいたときには既に手元に商品がある時。

寄付をとうに終えた後で気づくのだ。

後の祭り。

あれほど期待していた(何に?)のに、今やガラクタを買った気分でしかない。

到着までに冷める

クラウドファンディングはその性質上、『商品を購入』というものではない。

寄付をし、その返礼品として対象の製品が送られてくる、というものだ。

そもそも、寄付額が一定に達しなければ製造すらされず、手に入れられない可能もある。

だから、到着までには数か月の期間がある。

これも落とし穴だ。

寄付をした直後は『これが手に入る!』と高揚感に満ちている。

同系統の商品と比べて割高でも、今までにない機能があるのだからと、納得してしまう。

今までにない機能が必要なのかどうかを冷静に考えることすらできない。

だが、この高揚感はいつまでも続かない。

数か月も、届かない商品へ思いを馳せていられる人間などいない。

例え恋人でも、数か月も音沙汰無しでは100年の恋も冷めるように、商品へ感じた恋にも似た感情は冷めていく。

いつしか、それ自体忘れていく。

そして、忘れたころに届くのだ。

「あれ、何買ったっけ?」

そして開封してから気づく。

「ああ…こんなの買ってたな」と。

しかし、肝心の商品が届けば寄付をした時と同じ高揚感に包まれる。

そう思うことだろう。

そんなことは無かった。

今までにない機能を使いこなすには、自身に大きな変化を強いる。

その機能を生活の一部とするために、生活そのものを大きく変化させなくてはならないのだ。

そうしなければ、その機能を活かすことができない。

かつて私は、スタイリッシュなハンディクリーナーを購入した。

その見た目と、アダプターを必要としない省スペースな充電スタイルに惚れた。

それはもう手元にない。

元々ハンディクリーナーを必要としない私の生活スタイルに、何故ハンディクリーナーを必要と感じたのか、当時の私が分からない。

あっという間に置物と化した。

これが恐ろしい。

当時の私の心境がよく分からない。

その冷め具合は、すぐに買って「これじゃない…なんか違う…」と気づくよりもダメージが大きい。

割高

何で買ったのかよく覚えていない

とわざわざ高い買い物をして忘れた自分がさらに追い打ちをかけるのだ。

私はクラウドファンディングから足を洗った

私にとってクラウドファンディングは一歩足を踏み入れれば抜け出せない底なし沼だ。

いたるところに掲載された商品が、購買欲をガツガツ刺激してくる。

その欲に負けた結果がこの様だ。

クラウドファンディングは恐ろしいシステムだ。

無暗に足を踏み入れてはいけない。

自身にとって本当に必要なものなのかどうか、冷静さを失う。

世間的に認知されれば、いずれ正規の商品として出回る。

本当に必要であれば、その時に買えばいいのだ。

むしろそれまでは、『本当に必要か?』と熟慮する期間と考えよう。

私は二度とクラウドファンディングの沼には足を踏み入れないことを誓おう。

(メルカリで)散っていった彼ら(商品)のためにも…

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