世の中の常識にうんざりした人におすすめ『家出のすすめ』(寺山修司)

昭和の劇作家寺山修司の作品。

この本は全部で4章構成になっており、

「家出のすすめ」

「悪徳のすすめ」

「反俗のすすめ」

「自立のすすめ」

となっているが、ここでは「家出のすすめ」について、その中でもたった一節

『 家とは『在る』ものではなく『成る』もの 』

ただこれだけについて取り上げる。

家とは『在る』ものではなく『成る』もの

寺山修司はこのことについて次のように述べている。

自分たちの共通の理念を、かたちとして想像してゆくものであって、他からあたえられるものではけっしてなかった

これが深く私の心に刺さった。

家とは何か、という答え。

建物でもなく、血でもなく、理念が家の根幹であると。

この言葉から受けた私の独白

共通理念が無い

私は家出をした身だ。

家族は私の行方を知らない。

これだけITが発達した状態で、その行方をくらました。

そのことへの後悔は無い。

けれど、一方で何故自分はあの家に居たくなかったのか。

その答えが半分は出ているが、もう半分は見つかっていなかった。

答えが足りない気がしたのだ。

ここにその答えがあった。

答えはこれだ。

『共通理念が無い』

私には、あの家での共通理念が無い。

より正確に言えば、あの家の理念は私には受け入れられないものだった。

私の持つ理念は、あの家の理念と相反するものだった。

だから私はあの家にいることを拒んだ。

家出したのだ。

不愉快なまでの『家』への執着

家が先か、人が先か。

寺山修司は明確に「人が先」であると述べている。

当然だ。

人無くして家は無い。

だが、家は無くても人は在る。

ここで言う『家』とは、もちろん建物を指すのではない。

家という形態だ。

あの家にとって、私は人たりえなかった。

家を構成する人形だった。

人形を欲していたのだ、あの家は。

継ぐ者がいなくなり、空きを埋めるための人形。

それが私に求められた役割。

人ではなかった。

人ですらなかった。

ただいればいい。

それが役割。

そんな役割を求めてくる『家』に虫唾が走った。

家が一番で、人は二の次。

家がどうこう言われた。

帰る場所を残してくれと言われた。

何故私が、お前の帰る場所を残さなければならない?

嫌気がした。

そんなに『家』に執着する人形たちに、ならば喜んで埋まれと私は家を出た。

私にとってあの家はもう『家』ではない。

家を欲していないわけではない

私は家を求めないわけではない。

明確に求めている。

だが、前述のように家とは与えられるものではないから。

だから、相反するわけではない。

与えられる家は拒絶すれど、求める家は求めている。

共通の理念を持つ伴侶を求めている。

一つの『家』を成そうとする目標がある。

ここに葛藤があった。

かつての家を捨てるのに、新たな家を求める。

親も兄弟も捨て、一方で妻と子供を求める。

これは矛盾しないかと。

矛盾しなかった。

この本のおかげで、新たな道筋が光によって照らし出された。

まとめ

この本は昭和、それも歌人が書かれた本だけあり、その表現はなかなかに過激だ。

しかも巻末には、これでも実は表現を抑えているという記載があるのだから驚く。

しかし、だからこそこの本には、『聖域』とされるものをばっさりと切り裂く威力がある。

あの『サザエさん』を性生活の観点から見た解説は、恐ろしいと同時に面白いと感じた。

昭和のみならず、平成、そして令和になっても続く『善きこと』『悪しきこと』その矛盾を告発する本書。

もしあなたが世間一般の常識と相反することを行い、そのことに苦しんでいるなら是非ともこの本を勧めたい。

きっと、あなたの苦しみに光明が見えてくるはずだ。

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ABOUT US

初めてできた彼女に振られたショックから立ち直った際に人生は失敗の連続と悟り、色々なことに挑戦していく。 現在、資産形成から副業としてアフィリエイトブログを立ち上げる。他に株式投資や、趣味の執筆活動も行っている。