人生の避け事~普通~

普通であることは、避け事だ。

普通になどなってはいけない。

普通であることには何一ついいことがない。

あなたは、普通であることに疲れていないだろうか?

ここでは、普通であることを避け事とする理由と、普通ではないことのメリットを記す。

普通とは何だ?

そもそも普通とは何か?

言葉上の意味はこれだ。

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」

https://kotobank.jp/word/%E6%99%AE%E9%80%9A-618997

これだけ見れば、誰しもが知る普通の意味だ。

では改めて聞く。

普通とは何か?

こう聞かれて、正確に回答できる人間がいるか?

では少し的を絞って聞こう。

男性の身長で普通の身長とは?

こう聞いたとき、おそらく大半の人はこれを答える。

統計上の平均身長を。

だが、それは本当に普通か?

あなたの考える普通に当てはまるか?

あなたの思う普通の身長に当てはまっているか?

ここで私の事情から話をすると、私の身長は170cm。

男性の平均身長は172.3cm(20歳時)だ。

…さて、私の身長は普通だろうか?

2.3cm差をどう見るか、人による。

普通という人もいれば、普通じゃないと否定する人もいる。

ここで私の職場を見たとき、私より低い人、高い人は居る。

普通の定義である、ありふれているという見方で見たとき、とてもじゃないがありふれているなどという言い方ができない。

これで、『男性の身長は普通はこれくらい』と言われたら、私はうなずくことはできない。

そのくらい、普通とは不確かで、ありふれておらず、少ないのだ。

普通に定義は無い?

では普通に定義は無いのか?

どうやって人は普通の定義をしているのか?

それは簡単なことだ。

普通の定義は、自分である

自分を基準として、普通を定義している。

なぜなら、普通とはありふれていなければならない。

ありふれているのに、そこに自分が入っていないことなどあり得ない。

まずは自分こそが普通であること。

あなたも聞いたことがあるだろう。

誰かが「普通は~~だ」で語りだされる内容。

その内容に、語った当人が含まれていないということは無いと。

『普通』であることを人は求める

自らを基準とした普通。

何故、普通を語るうえで自分が基準となるのか?

その結論はこれだ。

人は普通であることを求める。

自分は普通。

普通ではない、などということはありえない。

自分には特別なことなど無く、ありふれていて、当たり前の存在だ。

「あなたは普通じゃない」と言われて、怒らない人は居ない。

普通扱いされないと、途端に不機嫌になる。

何故普通扱いされたいのか?

それは、普通ではないと思われれば、その時点で孤立する。

普通の集団から孤立するのだ。

人間は、異物を排除する生き物だから。

普通じゃないは排除される

だから、人間は普通でいたがる。

排除されたくないから。

それだけの理由で、人は普通でいたがるのだ。

普通は楽?

皆が求める普通

では普通であることはなのか?

はっきり言って、普通ほど大変なものは無い。

何故なら、普通の定義は自分だから。

自分ということは、他人もまたその人の普通の定義をもっている。

人の数だけ普通の定義がある

それら全ての人に普通を合わせることは可能か?

NOだ。

できるわけがない。

場合によっては、相手の普通に合わせるために、自分の普通の定義を崩す必要すら出てくる。

自分にとっては普通じゃないのに、相手にとっては普通だから、だから合わせる。

普通じゃないと思われたくないから。

しかしこれは苦痛だ。

自分にとって当たり前ではないものを、当たり前だと受け入れなければならない苦痛。

普通でいようとするとはそういうことだ。

普通でいるとは、相手に合わせることを意味する。

時には自分の普通を無視してでも。

普通じゃないとは何か?

では一転して、普通じゃないとは何だ?

簡単だ。

自分の定義から外れたもの全てだ。

これは、相手の普通も含まれる。

普通だと思うこと以外が、全て普通じゃないのだ。

そう考えたとき、果たして世の中に普通と普通じゃないの、どちらが多いだろうか?

さきほどの例で挙げた身長についても、『普通の身長』という人はかなり少ない。

少なくとも、ありふれているという表現はしない。

街中を歩いていて、人の頭のてっぺんがキレイに揃っている人混みを見たことがあるだろうか?

私は無い。

凸凹して見えるだろう。

世の中は、ありふれているはずの普通よりも、普通じゃない方が圧倒的に多い。

普通の枠は狭いのだ。

高すぎても低すぎても、普通の身長にはならない。

狭い枠に、無理やり自分を普通に当て込もうとすれば、なかなか入らないものだ。

だから、普通である、普通であろうとするのは大変なことなのだ。

普通から解き放たれよう

ここまで述べたように、普通とは万人それぞれの定義があり、その上非常に狭いものだ。

ありとあらゆる面で普通でいるということは、事実上不可能と思うしかない。

ならどうするのか?

簡単だ。

普通じゃなければいいのだ。

しかし、前述したように人は異物を排除する。

普通じゃないは排除される。

それが嫌だから、人は普通でいようとする。

そう言っておきながら、普通じゃなければいいと勧めるのはどうしてか。

普通は狭き道だからだ。

普通とは、圧倒的に狭い枠であり、そして人によって定義は異なる。

普通であろうとすることは、制限を付けることになるのだ。

普通という枠で考えた場合、できる事とできない事。

どちらが多いかは明白。

『普通なら出来ないこと』が圧倒的に多い。

例えば職業でみてみよう。

普通の職業といえば『サラリーマン』と答える人が多いだろう。

では、『野球選手』は普通の職業か?

答えはノーだ。

『歌手』は普通の職業か?

ノーだ。

『芸術家』は普通の職業か?

ノーだ。

『普通の職業』と考えただけで、選択肢がこれほど狭くなるのだ。

普通を基準に考えることが如何に狭いことなのか、わかっただろう。

普通であることよりも、普通じゃないことのほうが圧倒的に選択肢が広がる。

普通に囚われることは、人生の選択の幅を縮める行為なのだ。

私が行う『普通じゃない』こと

ではここで、私が行う普通じゃない事を挙げていく。

  • 株式投資
  • 生命保険・医療保険解約
  • ミニマリズム
  • 格安SIM
  • 朝活
  • ブロガー
  • アフィリエイター
  • 小説家
  • 筋トレ
  • メインの食事はオートミール
  • 家計簿3種類
  • 家との関係断絶
  • 振られた女性に2年経っても恋してる
  • お掃除ロボット導入

思いつく限りの普通じゃないことを挙げてみた。

まだあるかもしれない。

普通じゃないことが自分の中では普通化して思いつかなくなっているかもしれない。

ここで言いたいのは、普通にこだわらないだけでこれだけ『普通じゃない』ことができるのだ。

株をやってる人なんていない、という普通を受け入れたら株なんてやってない。

そんな普通を私は避けた。

しかも、株をやり始めたら新しいものの見方を得られた。

これは思わぬ副産物だ。

普通に囚われていたら得ることができなかったものだ。

まとめ

普通でいることは、集団から排除されないための一種の知恵である。

だが、普通という狭い枠に囚われることは、自分の選択・可能性を減らすことになる。

普通の感覚から抜け出し、あえて普通じゃないことに取り組めば、得られるものはどんどん増える。

普通を避け、普通よりも圧倒的に多い普通じゃないを、あなたの人生に取り込んでいこう。

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