まさしくタイトル通り、働く意味を見失った人たちにオススメな本。
結論から言えば、「自分の価値観に沿った生き方をすること」。
しかし、価値観と言われてもそれが漠然としていて全く想像もつかない人もいる。
本書ではその価値観を、
- 自分のものなのか
- 世間や社会から刷り込まれたものなのか
- 人間が古来から進化する過程で身に着けた習性なのか
で分析している。
例えば、『 人間が古来から進化する過程で身に着けた習性 』で言うと『マウンティングゴリラ』がいる。
これは、他者との生存競争で勝ち抜くために、自分は優れているんだと思い込む習性だ。
しかしながら、現代においてこの価値観は必要か?
この習性は生きるには必要である。
限りある食糧を手にするために、他者より優れていることは最低条件なのだから。
だが、もはや生きることが脅かされることのない現代において、人と比べることの無意味さは各所で囁かれている。
つまり、マウンティングゴリラという習性は、現代において不要な習性だ。
このような習性に囚われて、果たして最高の生き方ができるか?
また、『世間や社会から刷り込まれたものなのか』の一例では、集団における善悪の麻痺がある。
これは、個人よりも集団の意思を尊重するという習性だ。
明らかに個人の意見で見れば悪とする行動も、集団の意思であればたやすく行われてしまう、ということだ。
ユダヤ人迫害、松本サリン事件がいい例だ。
あれを実行したのは、どこにでもいる普通の人間だ。
元からの極悪人ではない。
個人で実行するとなれば、到底できないことだ。
しかし、集団として行うと容易く行ってしまう。
戦時中の日本の非国民扱いも同じ。
戦争に参加しない者を非国民とするそのような行為も、集団だから行えた行為だ。
このように人は集団になると、個人の善悪を失い、残虐な行為も平然と行うようになる。
つまり、集団(会社や組織、なんらかのコミュニティ)に属すると、人は個人の価値観を失うということだ。
本書ではこういった、自分の価値観に沿った生き方をする上で不適当な習性を数多く述べている。
それらを知り、客観的に見ることが重要である。
他人に対し、自分の武勇伝・得意なことを語るのはとても気持ちがいい。
たまに私もマウンティングゴリラになってしまうからよくわかる。
だが、客観的に見ればマウンティングゴリラが如何にみっともないかはすぐわかることだ。
マウンティングゴリラとは何なのか、その生態を知ることは、マウンティングゴリラにならないための一歩だ。
自らの習性を知り、人間らしい価値観を持った生き方をしたい人に、この本を勧めたい。
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