避け事~悲観主義~

悲観主義

 

それは、長い人生を生きる上で、最も避けた方がいい考え方である。それは、悲観主義は人生を諦めやすくし、生きていく力を損なうものだからである。

 

この記事では

  • 悲観主義とは何か?
  • 悲観主義だとどういうことになるのか?
  • 悲観主義から抜け出すには?

 

ということを説明していく。

 

悲観主義とは?

 

そもそも悲観主義とは?WikiPediaでは下記となっている。

 

元来は哲学の分野で用いられる語で、この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観をさす。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%B2%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 

こういうと大雑把すぎるので、ここで私が言いたい悲観主義とは下記となる。

 

物事の悪い事が、自分に継続的な原因があると思い込み続けること。

 

例えば、試合に負けた選手がいるとする。この選手の考え方が、悲観主義だった場合と、その反対である楽観主義だった場合との比較をしてみよう。

 

楽観主義・・・

  • 相手が強かった
  • 運が悪かった
  • 今日の体調が悪かった
  • アウェーだった

悲観主義・・・

  • 自分の努力が足りなかった
  • いつも肝心なところで失敗する
  • ホームなのに負ける自分が情けない

 

と、なる。この二つの考え方の違いはわかるだろうか?

 

楽観主義の考え方の結論は、自分そのものに問題はないということである。問題は相手や、その場限りの条件、一時的なモノとしている。もっと簡単に言えば、自分は悪くないである。

 

では一方で悲観主義の考え方の結論は、自分そのものに問題があるということなる。あくまでも問題は自分にあり、その問題は継続的なものであると考えている。簡単に言えば、悪いのは自分であるということだ。

 

これだけなら、今は世の中で自己責任という言葉が流行っているように、自分に問題があると認めることが成長につながる、そう考える人もいる。

 

だが、先に言っておく。悲観主義と自己責任は全くつながらない。なぜなら、自分に問題があるからといって、自分が悪いわけではないからだ。

 

例えば、ある小学4年生がテストを受け、100点満点を取ったとする。その学生に、小学5年生向けのテストをやらせたとしよう。その結果が0点だったとする。この場合、果たしてこの学生に問題はあるのか?

 

楽観主義なら、小学5年生向けのテストなどできるはずがないとテストに問題があるとみなす。だが、悲観主義は小学5年生向けのテストだろうとできなかった自分に問題があるとみなすのだ。

 

こうすると、楽観主義とは他人に責任をなすりつける考え方と捉える人もいる。もちろん違う。楽観主義はその場の状況や、その時点での今の自分の状態に問題があるとみなすこともできる。楽観主義の大切な点は、『今は』という考え方だ。

 

一方、悲観主義は今だけではなく、これまでも、そしてこれからもという考え方に陥りがちだ。今がダメだからこれからもダメ、これまでもダメだった、と過去未来の時間軸全て自分を否定する。

 

更に例を出すと、悲観主義は異性に告白をし、振られたとする。そうなると、自分には魅力が無いと思い込み二度と告白をする意思が生まれない。もしかしたら、相手には既に付き合っている人がおり、誰が告白しても断られた、という状況だったかもしれないのに。

 

このように、悲観主義は、自分は継続的な問題があると思い込み、そのことによって諦めやすくなってしまうのだ。

 

悲観主義によって生まれる問題点

 

では、実際悲観主義の場合どのような問題が生まれるのか。

 

大きな問題は諦めやすいということだ。何を諦めやすいのか?もう全てである。

 

例えば病気。悲観主義者は統計上、健康状態が悪く、寿命が短い傾向になる。なぜなら彼らは諦めやすいので、病気になると「私はもうだめだ」「この病気は治らない」「このまま死んでしまうのだろうか」と病気が改善されるという思考にならない。

 

実際、悲観主義者の体内の免疫活動は、楽観主義者に比べて鈍い状態にある。白血球といった免疫細胞の活動が鈍いのだ。これでは病気にかからないようになるための抵抗力、かかったとしても治るための自己治癒力が低いのだから、病気は長引き余計に悲観主義の考え方を増長させる。

 

受験生を例にとってみる。もし受験に失敗し落ちたとする。すると、「もう自分はダメだ」と受験を諦める、もしくは浪人して次を狙うも心では「一度落ちた自分が受かるわけがない」ともう諦めている

 

そして最悪なのは、この考えは悪循環を生む。もう一度病気を例にとると、一度病気に罹り、改善したとしても、もう心には「病気になってしまう弱い自分」が出来てしまっている。その考えが、前述したように免疫力の低下を起こす。免疫力が低下した体は当然病気に罹りやすい。再び病気に罹り、「病気になってしまう弱い自分」がさらに強化されてしまう。と、このように悪循環になる。

 

悲観主義から抜け出すためには?

 

では、この悲観主義の考え方から抜け出すには?

 

それは、問題は限定的だと考えることだ。自分は悪くないと思い込むのだ。

 

例えば上司に叱られたとしよう。悲観主義者なら、叱られるのは自分がダメだからと自分を否定してしまう。しかしここで、叱られたのは、自分の能力の一部が上司に期待に達していないだけ自分自身が問題ではない

 

もっと言えば、その仕事を辞めたとき、叱られた内容はその後も続くものだろうか?別の仕事では全く関係が無いようなものなら、それは限定的ということだ。自分自身を否定するものではない。

 

もし仮に上司が「だからお前はダメなんだ!」とあなた自身を否定する言葉を吐いてきたとしたら?内心こう思えばいい。『お前ごときに私を否定する権利はどこにもない。何様のつもりだ!』と。一人間であるあなたは、誰にも否定されない誰にも否定する権利などない

 

目の前の上司とて、会社から一歩出ればただの中年だ。会社の中でしか通じない役職で、会社外での人間性まで否定していいわけがない。間違っているのは、ダメなのはその上司の方である。

 

人間はそれそのものが悪いなどということは決してない。今だけの状況、能力、それらは自分自身ではない。

 

何か問題があろうと、それは今だけの限定的なもの。それが、悲観主義から楽観主義へと移り変わるための一歩だ。

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