幼い子供が、覚えたばかりの言葉を何度も使いたがるように、あなたも覚えたばかりの知識、あるいは自分以外には誰も知らないであろう知識を他人に語ってはいないだろうか?
だが結論を先に言っておく。あなたの語る知識は、相手には届いていない。
馬の耳に念仏ではない。
釈迦に説法でもない。
ただの騒音だ。
あなたは良かれと思って話したのだろう。みんなに知識を広めようと思ったのだろう。だが、相手には届かない。それどころか、聞きたいわけでもない話をわざわざ時間を削られて聞かせられる被害者にしている。
人が話を聞くかどうかは、二つの要因がある。その要因のどちらかを、あなたが満たしていなければあなたの話は聞かれない。相手に受け入れられていない。その二つの要因を説明していく。
目次
一つ目の要因:人は都合のいいことしか頭に入れたくない
人は、自分にとって都合のいい情報しか取り入れず、都合の悪い情報は取り入れない。楽しい・面白い・嬉しい情報は聞きたいけれど、つまらない・面倒・気に入らない・知りたいと思っていない情報は聞こうとしない。
何故都合のいい情報しか取り入れないのかと言えば、それが求めている情報だからだ。求めていない物を提供されても、欲しいとは思わない。求めているものを提供されたとき、人ははじめてそれを受け取る気になる。
つまり、相手に何かを語るには、相手が何を求めているのかを考えてから語らなければならない。これを無視しては、あなたが何かを語る姿は犬が吠えまくる姿となんら変わらない。ただうるさいだけだ。
二つ目の要因:人が話を聞くのは『誰が』語るかであり『何を』語るかではない
テレビでよく、大学教授あるいは何かしらの専門家が意見を述べるのをあなたは見たことがないだろうか?あなたはその人のことをよく知っているだろうか?テレビで初めて見た人ではないだろうか?そんな、初めて見た人が述べた意見を、あなたは「ああそうなんだ」と受けたことはないだろうか?
権威主義という言葉がある。簡単に言えば、権威がある人間の言うことを従うというものだ。もっと砕けた言い方をすれば、偉い人の言うことなら聞くということだ。つまり、大学教授や専門家という肩書を持った偉い人の意見なら、その人自身のことを良く知らなくても、その肩書だけで聞くということだ。
全く同じ意見でも、全く知らない一般人と、全く知らない大学教授。あなたは、どちらの意見に説得力を感じるか?間違いなく後者だ。肩書のない人と、肩書のある人と、どちらの話を聞き入れるのか。疑問の余地すらない。
つまり、あなたが誰かに何かを伝えたいとき、あなたに権威・肩書が無いと相手には伝わらないのだ。あなたの話す内容が問題なのではない。話すあなたがどういう存在なのか、それが問題なのだ。
このことについて、投資の神様と呼ばれるウォーレン・バフェットはこんな言葉を述べている。
『私が他人にお金のことで助言するのが最も得意だったのは、21歳の時だった。誰も私の話を聞かなかった』
当時の彼はまだ投資の神様と呼ばれてはいなかった。話す内容が素晴らしいのに、権威が無い彼の話は誰も聞かなかった。しかし今はどうか?80歳を超え、投資の神様と称えられるようになった彼はこんなことを言っている。
『今は世界一愚かなことを言ってもそこに何か隠れた重大な意味があるとみんなが考える。』
ウォーレン・バフェットが言うことなら何か意味がある。何を言っているかは関係ない。そういうことなのだ。誰が言っているのかが重要だ。
ここで、みなさんも思ったのではないだろうか?『投資の神様が言うのなら』と。そう、あえてここで私は権威を利用した。権威を利用し、言葉を聞き入れやすくした。私の言葉では届かないものも、権威があると届く。まさにここに実例を載せた。
語っていいのはいつ?
あなたが何かを語りたいとき、その内容が相手にとって必要かどうかを見極め、それを語るにふさわしい権威があるかを考えなければならない。それを無視して語ったところで、相手に受け入れられることは無い。ただの独りよがりの行為でしかない。
なら、黙れというのか?というと、それは違う。あなたに必要なのは語ることではない。あなたが語りたいことを実践することだ。
実践すると、まず行動したことによりあなたにはその知識の権威が身に付く。そして、周りの人間はあなたの行動に興味を持つ。興味を持つということは、あなたの行動の中身を知りたがる。それはつまり、あなたの語りたかったことが、相手の求めるものに変わる瞬間だ。そして、相手に聞かれたら、あなたは存分に語ればいい。この瞬間、相手があなたの話を聞く二つの要因は満たされる。相手が求め、あなたにはその行動の権威がある。
まとめ
無闇な語りは騒音でしかない。興味のない政治家の街頭演説と同じだ。それではあなたから徐々に人は離れていく。語るにはタイミングがある。そのタイミングは、あなたが語りたいことを知ったときではない。語りたいことを実践し、その効果を確認、皆が認めた時だ。
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