[ミニマリズム]健康を手放す

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 こんにちは。

 昨今の情勢から、病気にならないよう、健康でいようと意識する人が増えていると思います。健康のための情報が出回り、食事の内容や運動、睡眠等様々な事柄において、どのようにするのが健康的になれるのか、情報がありすぎるくらいです。

 かくいう僕も、健康を意識して色々な方法(特に食事)について気を配ってきました。小食・断食・糖質制限・生野菜・酵素等々…色々なことをしてきました。

 そんな僕は、今回その健康を手放すことにしました。この記事では、

  • 健康を手放すとはどういうことなのか
  • 健康を手放すためにすること

 その辺について語っていきます。

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健康を手放すということ

 さて、まずは健康を手放すということについて語っていきます。

 健康を手放すといっても、そもそも健康とは手に持っているモノではありません。手放そうと思って手放せるわけではありませんし、健康を手放して病気になるということでもありません

 では健康を手放すとはどういうことか?それは、健康を考える意識を手放すということです。健康であること、健康でいなければならないこと、それらを考えることを手放すのです。

 

そもそも健康とは?

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 そもそも論ですが、健康とは何でしょう?何をもって、どういう状態で、何を基準として健康であると言えるのでしょうか?

 ここで、一旦健康の定義としてWHO(世界保健機関)の定める内容を紹介します。

『身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。』

引用元:Wikipedia「健康」

  これを読む限り、確かにこの状態であれば健康と考える人が大部分だと思います。しかし、これを健康の定義とした場合、この健康の状態になることは極めて難しいのではないでしょうか

 ここでもまたそもそも論になってしまいますが、完全に良好な状態とはどんな状態でしょうか。

 仮に身体測定の数値が全て基準以内であれば身体的には健康と言えるかもしれません。しかし、当然基準以内でも病気の場合はありますし、逆も当然あります。数値だけで健康かどうか、完全に良好な状態であると見ることはできません

 また、精神的となるとますます困難です。完全に良好な精神とはいったい何でしょうか?正直私には想像もできません。不満が無い?ストレスが無い?全くの負の感情が無い?お釈迦様でしょうか?想像もできないものを、どうやって目指そうとすればいいのでしょうか?

 そしてこれまた厄介なのは社会的です。完全に良好な社会的状態?家族がいれば良好ですか?結婚していれば良好ですか?子供がいれば良好ですか?親友がいれば良好ですか?社会的地位があれば良好ですか?

 

 このように健康というものを見ていくと、健康とは実現不可能な代物ではないでしょうか。このWHOの示す健康に当てはまる人物は存在するのでしょうか?世の中には「私は健康です」と自称する人はいると思います。僕もそうです。ですが、この定義で健康かどうか問われれば「それは…」となります。はっきり言うことなどできません。

 しかし、じゃあこのWHOの示す健康は荒唐無稽で、現状普通の人が考える健康とかけ離れているのか?と考えると、それも違うと言えます。

 何故ならこの三つ、身体的・精神的・社会的の条件は影響し合うからです。どれかが欠ければ、他も影響を受けます。

 身体的な病気に陥れば、当然気分は落ち込みます。「どうして自分が…」「苦しくて何もできない」と精神的に悪影響が出ます。

 また、精神的に落ち込めばそれは身体的・社会的に影響が出ます。落ち込む人が身体の具合を悪くするのはよくある事ですし、落ち込んだ人と周りとの関係が悪化することもよくある事です。

 そして社会的。人との関係が悪化すれば、それだけで精神は病んでいくでしょう。精神が落ち込めば自然と身体も…と、こんな感じで3つはリンクしています。どれかだけが完全に良好な状態でいられるということは無いと言っていいでしょう。

 

健康は不可能に近い

 そう考えますと、健康は限りなく達成が不可能に近いのではないでしょうか?しかも、一時だけ達成できたとしても、それを維持していくのもまた並大抵の苦労ではありません。身体は常に何かの病気になるリスクを持っていますし、精神はいとも簡単に病みます。社会的など、何の拍子で崩れるかわかったものじゃありません。

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 だからこそ、世の中には星の数ほど健康に関する情報が溢れています。しかしそれは皮肉にも、どの方法をとっても健康にはなれないということを示しているのではないでしょうか?

 僕もいくつもの健康に関する情報に手を伸ばし、実践してきました。しかし言えるのは、

実践した。けど、だから今健康かどうかは分からない

 また逆に、

その情報が無かった昔が、健康ではなかったとも言い切れない

 ということだけです。

 僕はこれまで大きな病気をしたことがありませんし、少しの不調ならばすぐ寝てすぐ回復します。そう言った意味では健康と言っていいかもしれません。しかし、そんな僕ですら健康に囚われ、どうすれば健康でいられるのかと悩む日々でした。何か情報は無いかと、健康になるため、不健康にならないためと漁る日々。むしろこんな日々を送る方がよほど不健康ではないかと思うほど。

 

叶わないものを望むのは苦しい

 何が健康なのか分からない。どうしたら健康になれるのか分からない。そんな分からないモノを望む。それはつまるところ、叶わない願いを持っているということではないだろうか?と思うようになりました。

 どんなに情報を集めて実践したとしても健康にはなれない。一時なれたとしても、健康でい続けることはできない。そんな願いを持ち続けることに何の意味があるのでしょうか?

 健康になろうとして、健康になれない苦しみを抱えている。そんな自分に気付いたのです。皮肉なことに、健康になろうとすることが苦しみを生んでいた、それが事実でした。

 

どうして健康を望む?

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 そもそもどうして僕は健康を望んだのでしょうか?

「病院で寝たきりの人生なんて嫌だ」

「出掛けたい時に出掛けられない、自由に動かせない身体なんて嫌だ」

「病気で死ぬなんて嫌だ」

 これが、僕が健康でいたがる理由です。つまるところ、健康でいたいというより病気になりたくないということです。病気になりたくないから健康でいたい。そんな思いから、健康にこだわるようになりました。しかし、果たして病気にならない人生はありうるのでしょうか?

 

ブッダは『生老病死』を説く

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  ここでいきなり、仏教の話になります。どうして仏教かと言えば、仏教はミニマリズムという考えで見れば究極系です。なにせ一切のものを持たない、一切の肩書を持たない、一切の執着を持たない、必要なモノすらないとまで行くからです。

 さて、仏教…ブッダは真理(誰が見ても絶対にそうであるという事実)として四苦『生老病死』を説いています。

  • 生きることは苦である
  • 老いることは苦である
  • 病むことは苦である
  • 死ぬことは苦である

 これら4つをブッダは苦であること(苦の概念について語ると少し長くなるのでここでは割愛します)とし、同時に絶対に避けられないものであるとしています。

  • 生きる苦は避けられない。
  • 老いる苦は避けられない。
  • 病む苦は避けられない
  • 死ぬ苦は避けられない

 老いることを避けて、ずっと若いままの人は居ません。死を避けた人、死なない人は居ません。そして、病になることも避けられないのです。

ただし、ブッダの語る病は普通に考える病気とは少し違う奥の深い話になりますがこれも割愛します。

 

病は避けられないもの

 では病は本当に避けられないものなのでしょうか?と、問うたところで結論はもう誰でもわかります。

 病気になったことがない人などいない、と。

 例え今は若く健康だとしても、歳を取ればどうしたって体は衰えます。病気になる確率は間違いなく上がります。そんな状態で病を避けようとすることは、薄氷の上を渡るか、綱渡りをしているのかのどちらかと同じことです。段々氷は薄くなる。段々綱は細くなる。そんな病気になりたくないからと足元ばかりを気にして歩いて何の意味があるのでしょうか?

 であれば、もう結論は出ています。健康を気にすることに意味など無い、と。

 

健康を手放すためにすること

  健康は気にしても意味が無い。そう分かったとしても、長年染みついた『健康』というワードを気にしてしまう習性はなかなか消えません。

 なのでここからは、具体的に健康を手放すために私がしていることをお話ししていきます。

 

いつかは死ぬという現実を受け入れる

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 生命は死にます。それは、どんな生命であっても避けようのない事実です。どんなに健康を気にしても、車に撥ねられれば死にます。階段から転げ落ちて、打ち所が悪ければ死にます。健康だとしても死ぬときは死にます

 病気もそうです。自分が病気になると分かっている人は居ません。ある時突然病気になるのです。「そろそろ病気になりそうだから気を付けよう」と分かってる人は居ません。

 いつかは死ぬ。ただその事実をちゃんと受け入れることにしました。病気になれば、その先に死が見え隠れします。死ぬのが嫌だから、病気になりたくない。そんな思いもあります。だからこそ、死を受け入れれば、病気になることを怖れること、嫌がることはありません。それは結果的に今の状態、そしてこれからが健康であろうと望むことを無くしていきます。

 

健康系の情報から離れる

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 先ほども言ったように、長年健康を気にしてきたことでどうしても健康に関する情報に耳が行ってしまいます。なので、意図的に健康に関する情報から離れるようにしました。

 具体的にとった行動は以下の通りです。

  • 健康系の雑誌は読まない。
  • 健康系の動画は観ない。
  • 「健康」のキーワードを見たら目を逸らす。

  いたるところにある「健康」の文字を避けるのはなかなか大変でしたが、慣れればそうでもありません。むしろこれほどまでに「健康」は儲かるんだなぁと思ってます(笑)。

 

食べたい物を食べる

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 健康を考える上で最も気にしていたのは、何を食べるか。それを考えないようにしました

 じゃあ何を食べるのか?それは、食べたい物を食べることです。しかしそう言ってしまうと、じゃあ甘いものばかり食べてそれでいいのか?好きな物ばかりでいいのか?と言われそうですが、そんなことはありません。

 食べたい物=好きな物、ではないのです身体が食べたい物を食べるのです。

 身体が食べたい物を欲する。そんな感覚は誰でも持っているものです。好きではないけど、今日はこれが食べたい、そう思ったことはありませんか?すっぱいものが食べたい、辛いものが食べたい、魚が食べたい、肉が食べたい…そんな謎な身体の欲求に従うのです。

 好きな物で考えてしまっては当然食べるものが偏ります。しかし体の欲求に応えれば、同じものを欲することはありません。むしろ昨日はこれ食べたから今日は違う物、と好きかどうかなど関係無い物を欲求してくるくらいです。

 最初はなかなかこの体の欲求を感じることができませんでした。なので、身体の欲求を感じやすくするために、スーパーに行くときに献立を考えないという手法にしました。現物を前に自分の身体の反応を見る。そして、食べたい!と思ったものに従う。そうすると、意外と買うものはバラバラですし、最近食べたものは自然と避けるようになります。

 身体は同じものを欲しません。いろいろなものを欲します。同じものを欲するのは脳の役目ですが、脳はそこまで賢くありません(笑)。身体の事を分かっているのは身体です。身体に従って、身体が食べたい物を食べるのです。

 

健康を手放してしばらくの変化

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 さて、そんな感じで健康を手放して一月ほど経ちました。まだ経った一月ですが、その中で感じた変化をまとめていきます。

 

食べたい物が減った

 これが一番驚いた変化です。健康を気にしていた時よりも、食べたい物が減りました。これは、健康を気にしていた頃は好きな物が健康に良くない影響を与える物であれば、「食べてはいけない物」というカテゴリに入れていました。しかし人間、ダメと思うとなおさら欲しくなってしまうもの(笑)。結果的に食べてはいけない物ほど食べたくなる、そんな衝動が良くありました。

 しかし、健康を気にすることをやめ、食べたい物を食べる。それは、「食べてはいけない物」というカテゴリが消えた、ということです。そうなると、食べたいという強い衝動が生まれることも無いです。

 何を食べてもいいという自由が、何も選ばない、なんでもいいやということに繋がったのです。

 

偏食が無くなった?

 これは効果と言っていいかというと少し微妙ですが、偏食が無くなったかもしれません。

 ただ、偏食と言っても元々僕自身は特定の物しか食べられないわけではなく、なんでも食べれます。好きではない物はあっても、食べれないほど嫌いなものはありません。

 しかし、健康を気にすることで、健康に良い影響を与える食べ物ばかり食べていたのは事実です。発酵食品が良いと言えば漬物ばかり。生野菜の酵素がいいと聞けば生野菜サラダごってり。オートミールが良いと聞けば主食をオートミールに。ボーンブロススープが良いと聞けば味噌汁代わりに。味噌がいいと聞けばボーンブロススープに味噌を入れる。そんな特定の食べ物ばかりを食べていました。

 しかし、健康を気にして食べるものを選ぶことを辞めたので、今はその時その時食べたいものを選んで食べています。結果的には、健康を気にしていた時よりも、幅広く色んなものを食べて、ある意味健康的かもしれません

 

健康を気にせずストレスフリー?

 こちらも効果としてはまだはっきりしませんが、健康を気にしなくなったことで逆にストレスが減ったような気もします。

 やはり気にし続けるということは、それ自体がストレスの元ですから気にすること自体を辞めたことの効果はあると思います。これからより効果が出てくると思います。 

 

最後に

 以上、健康を手放すということについてでした。

 健康を手放すという考え方はこのご時世では異質かもしれませんが、こんな時期だからこその考え方とも思っています。健康を気にし過ぎて逆にストレスになっている方がいれば、そんな方への一つの考え方として参考になれば嬉しく思います。

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