辛い義務感手放しました|生きづらさから抜け出すためにやめた行動13選

本記事がオススメな人
  • 義務感に縛られて生きづらいと感じる人
せい

こんにちは、せい(@aodama_s)です。物だけでなく義務感も捨てたミニマリストです。

義務感ばかりの人生に疲れていませんか?

  • 働かないといけない
  • 結婚しないといけない
  • 子どもをつくらないといけない

などなど、現代人には義務感ばかりが付きまといます

~~しなければならないことばかりで1日が終わり、そこに自分の生きる意味を感じられない。

義務感ばかりでは、人生に自由は無く、狭く堅苦しいだけの生活になってしまうでしょう。

ぼくは義務感でしていた行動をほとんどやめた、あるいはやらないようにしました。

義務感からの行動をやめたことで、ぼくの人生は解放されました。

ストレスや不安のほとんどが無くなり、毎日を快適に過ごせています。

自分を締め付けていた鎖のようなものが無くなり、人生が明るくなったのを実感しました。

そこで本記事では、ぼくがやめた義務感でしていた行動と、やらないようにした行動を紹介します。

  • 具体的にどんな行動をやめたのか
  • どうやって行動をやめたのか

についても解説していきます。

行動によっては、行動そのものはやめていないけれど、義務感を無くすことができたのもあります。

義務感に縛られ辛いと感じる方は、是非本記事を参考に、義務感から解放された人生をこれから送ってみませんか?

やめた・手放した義務感からの行動

会社に勤めなければならない

「いい大学に入って、いい会社に入って…」

と、お手本のような人生観の謳い文句がありますね。

ぼくは、高校を卒業したら会社勤めをしなければならないと感じていました。

それは、働くことにおいて他の選択肢などなく、それどころか働くことよりも先に会社勤めがあるかのように思っていたんです。

会社勤めこそが人生の一部であるかのように錯覚し、そうでなければならないという義務感をもっていました。

しかし、ミニマリストになって様々な人と接することで、その義務感は無くなっていきました。

ミニマリストの中には様々な働き方をしている人がいます。

  • フリーランス
  • パート
  • 投資家

もちろん会社員もいます。しかしそれは、自分の選択の結果としての会社員であり、そこに義務感はありません。

そんな人たちを見ていたら、ぼくの中から『会社勤めをしなければならない』という義務感は、消えていきました。

上司の言うことを聞かなければならない

会社勤めをする上で、上司の存在は絶対。

そう思っていました。ですから、

上司の指示には絶対に従い、そうすることが自分の義務だと思っていたんです。

しかし、それは間違いだと気付きました。

会社に勤めて5年もすると、上司の指示に誤りがあり、それによって致命的なミスが発生するというのを何度か経験しました。

上司も人間ですから、指示に誤りがあるのはおかしくありません。

ただ義務として従うのは、会社に損害を与える行為だと気付きました。

また、中には自分の指示は絶対に間違っていないと信じて疑わず、意見する部下を邪魔者扱いする上司もいます。

そんな上司がいる会社は、もれなく衰退の一途をたどりました。

端的に言えば、イエスマンしかいない会社は近いうち倒産するということです。

これまでの経験から、上司の言うことにただ黙って従うことは、会社をダメにし、結果的に自分のためにならないと気付きました。

上司の指示に誤りや抜けがあれば、意見して訂正してもらう。それができると、部署内では業務の成果が向上しました。

上司の言うことを聞かなければならないという義務感は、誰のためにもなりませんでした。

風邪気味くらいなら出社しなくてはならない

仕事は最優先。風邪気味くらいなら、出社して仕事を進めなくてはならない。

そうやって少しでも仕事を勧めるのが大事だと思い込んでいました。

しかしそれは間違いだと気付いたんです。

風邪気味くらいなら薬を飲んでおけばいい。しかし、風邪気味だったのが本格的に風邪をひき、結局数日休む羽目になっていました。

一方、風邪気味とわかった時点で早退し、しっかり休めば数時間で治りました。

  • 風邪気味で無理して勤務したら本格的に風邪をひいて数日休むロス
  • 風邪気味と分かった時点ですぐ休めばたった数時間のロス

このくらいなら仕事できると無理せず、すぐ休むほうが結果的に効率が上がるということが分かりました。

失敗したら自分だけでなんとかしないといけない

失敗した後始末は、自分一人でなんとかしないといけない。

誰の手も借りず、完璧に自分だけで挽回する。

この義務感は全くの無意味であり、むしろ会社に損害を与える有害なことだとわかりました。

会社にとって大事なのは迅速さです。

失敗した人間がどうすべきかは二の次。まずは問題の解決が何よりも最優先です。

にもかかわらず、失敗した人にだけ問題を押し付け、問題の解決を遅らせるのは会社にとって損でしかありません。

それが分かってからは、問題を一人で抱え、なんとかしようとすることはやめました。

何と言われようとまずは問題を解決。失敗に対してどう反省するかはその後です。

家族と仲良くなければならない

世間にはびこる義務感で、この義務感に苦しんでいる人は少なくないと思います。

  • 長期休みになったら帰省しないといけない
  • 親孝行をしないといけない

そんな義務感は捨てました。

家族と仲良くすることは、何かあったときに助けてもらえるというメリットがあります。

しかしそのために、今苦しい思いをする必要があるのでしょうか?

ぼくにとって家族と過ごすことは、息苦しく、とてもつらいものでした。だから、今は一切家族とは関りを持たず過ごしています。

今ぼくは家族を捨て、一人で生きています。そうなった経緯は以下にまとめています。

note⇒家族に奴隷扱いされていたぼくが、奴隷だったことを自覚するまで

万が一のときのメリットのために苦しい思いをするくらいなら、そんなメリットなど無くても構わない。

幸い、今は家族がいない場合で対処するための方法やサービスもあります。

事前にそう言ったことを調べておくことで、家族がいなくても構わないという心構えを作ることができます。

1日3食食べなければならない

健康に過ごすためには、1日3食きっちり食べないといけない。

そう教えられてきたので、どんな日でも3食しっかり食べていました。

しかし、健康の観点から食についての本を読むと、1日3食は食べ過ぎだという意見がちらほら見られました。

中には1日1食で十分だというのもあり、1日3食食べることの義務感に疑問を抱くように。

それから1日2食~1食と減らしてみて、ほんとうに健康に有効なのはどちらなのかを検証してみました。

その結果、1日1食のほうが、

  • 疲れ知らず
  • 病気知らず
  • 時間の節約

とメリットだらけ。

今はほぼ1日1食で過ごしています。

動物性たんぱく質を取らないといけない

昨今は、やたらとタンパク質が大事だという論調が強いです。

一昔前であれば、プロテインとはボディビルダーのように専門的に筋肉を作る人向けでした。

しかし今は、単なる飲み物の一つになっています。

それ以外でも、食事には必ず動物性たんぱく質が必要であると。大豆のような植物性タンパク質よりも重要視されてるように感じます。

そのため、以前は必ず食事には肉や魚を入れるようにしていました。

しかし、森下敬一氏の著書を読んで考えが変わりました。

著書では、肉食の危険性を謳っています。

とくに、

肉という字は『腐』という字に含まれます。

これは肉が体内で腐り、腐敗物として悪影響を及ぼすことを表しているからです。

また、肉は消化に時間がかかるため疲れやすくなり、腐敗物が血液に流れて細胞を汚し、悪臭になります。

せい

体臭が気になる人は、肉ばかり食べていませんか?

それから肉食を減らし、玄米菜食を中心にしています。

その結果疲れにくくなり、単価が高い肉を買わなくなったので食費も少し減りました。

しかし体調に問題はありません。

今はたまに食べる程度になりました。嗜好品として食べる感じです。

規則正しい生活を送らなければならない

朝は〇時に起き、朝食・昼食・夕食は常に同じ時間に食べる。夜は〇時に寝なければならない。

そんな規則正しい生活を送らなければならないといけないと思っていました。

しかし、会社を辞め、フリーランスになってから気付いたんです。

人間の体は、常に時間通りになるわけではないと。

何時に起きられるかは、前日の疲れや睡眠の深さによりますし、季節によっても変わります。

何時にも寝られるかも同様です。

食事も、何を・どのくらい食べたかで消化のペースは変わりますから、同じタイミングで食べられるような空腹具合とは限りません。

それなのに、規則正しい生活を送るのを義務とすることは、逆に体に良くないのではないと思いました。

眠れる日もあれば眠れない日もある。サッと起きられるときもあれば、なかなか起きられない時もある。

身体が常に同じではない以上、規則正しい生活が本当に正しいのかは疑問。

だからぼくは規則正しい生活は止め、起きたいときに起き、眠りたくなったら寝る。食べたいときに食べるという。時計に縛られない生活をしています。

そうしたら、身体も頭もスッキリし、疲れにくくなった気がします。

お店に入ったら何か買う(注文)しなくてはならない

お店に入ると、何も買わずに店を出ることが申し訳ないと感じていたときがありました。

  • わざわざ「いらっしゃいませ」と言われた
  • 入ってきた自分を見ている

そうなると何も買わずに出ていくことができず、欲しいわけでもないのにわざわざちょっとしたものを買い、使わずにお金を無駄にしていました。

コンビニなら、ペットボトルの飲み物1本だけどか、ガムを1個だけだったり。

しかし、ミニマリストになって無駄な買い物をしないようにと決めてからは、買わなければならない義務感との戦いが始まりました。

最初は「本当に買わなくていいのか?」と思い悩む日々でしたが、徐々にその気持ちは薄れ、義務感で買う事は無くなりました。

今は、本当に必要なものだけを買うようにし、必要でなければ買わないです。

会話は常に弾ませなければならない

会話中、ふと沈黙が訪れたときに「何か話さないと!」と焦ったことはありませんか?

何か話さないといけない。でも何を話したらいいか分からず、焦るばかり。

次はそうならないようにと、会話ネタを作ったりすることも。

でも、そんな必要はないということを本で読み、それからは会話に沈黙が訪れても平気でいられるようになりました。

  • 会話は楽しくなければならない
  • 会話は常に続けなければならない

このような義務感は不要。

そもそもそんな義務感があったのは、

口下手な自分へのコンプレックス

だったのだと思います。

喋れないからこそ喋らないといけないと思い込み、そんな義務感を抱えてしまっていました。

結婚しないといけない

20代・30代と生きる中で、独身でいると必ず言われるのが

「いつ結婚するの?」

ですね。

何度も言われる中で、いつかは結婚しなければならないと義務感を抱え、恋人を作ろうと頑張っていました。

ですが、本当に結婚しなければならないか?と思いました。

結婚の仕組みやお金についてなど、色々な本を読みました。

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そういった本を読んでいく中で、結婚することは損しかないということだと感じました。

もちろん、金銭的なこと以外にも、時間や機会も失います。

そして結婚を義務と考えずに、

結婚は自分に必要なことか?

という視点で考えました。

そして、必要ないという結論を出しました。

子どもをつくらないといけない

子どもについても、結婚と同様に損であり、必要無いと考えて作らないとしました。

それ以前に、子どもというものに対し嫌悪感があります。

それは、子どもそのものが嫌いというものよりも、子どもに対する社会の見方に嫌悪しています。

  • 労働力
  • 税金の支払い
  • 老後の世話になる

そのように子どもを見ることに対する嫌悪。

そんなことのために子どもを作りたくないというのが、ぼくの気持ちです。

また、子どもというよりも人口の話になりますが、ぼくは現在の日本の人口は多すぎると感じています。

これは養老孟司先生の著書でも語られていたのですが、先生は日本の人口は7000万人程度が妥当という意見を述べています。

それ以外にも、今の若い人たちが子どもを作りたくない、作りたいと思わないことには理由があると思います。

「お金が無いから子どもをつくらない」と言いますが、いわゆる団塊世代が生まれた頃は、戦後直後ですから今よりもはるかに貧困です。にもかかわらず、人口爆発と呼べるくらいに子どもが生まれています。

お金は子どもを作る意思に関係ない。子どもを作りたいと思わない要因が別にあると、ぼくは考えます。

ぼくは子どもを欲しいと思ったことがありません。それはただの個人的意見というより、今の日本の人口の多さに対する、これ以上増やすなという種としての意思なのではないでしょうか?

生きなくてはならない

生きなくてはならないという義務感を捨てました。

…というと、自殺願望があるという風に勘違いされることもありますが、そう言うわけではありません。

生きることへの執着を捨てたと言ってもいいです。

きっかけは仏教について学んだときでした。

仏教では、人にはどうにもできない苦しみとして4つの苦があります。

病気になること、老いること、死ぬことがどうにもできないことだというのは何となく分かると思いますが、仏教はそこに生も含みます。

生きるということには、どうにもできない苦しみがあります。

生きるための糧(お金や食べ物)を得るのに、気の進まない仕事をしたり、嫌な人の顔色を窺ったり。どうにもならないと、犯罪に手を染めることも。

生きなければならないという義務感を抱えるのは、苦しみを抱えることに繋がります。

そこで、生きなければならないという義務感を捨てるとどうなるか。

それは、そういった苦しみを手放すことになります。

今生きているのは、たまたま死んでいないからという考えに。

生きることに苦しみを感じることはなくなり、生きる喜びを感じられるようになります。

生への執着を捨て、いつ死んでもいいと思えるからこそ、今を楽しく思える。

ぼくは生きなければならないという義務感を捨てることで、毎日を楽しく、自分の望むように過ごせてします。

結果に囚われず、自分のやりたいことをやって、それだけに満足できる。

生きることを義務としないことで、ようやく生の喜びを感じられるようになりました。

最後に:義務感に人生を幸せにする力は無い

ぼくはここに挙げた様々な義務感を手放しました。

そして感じたのは、

手放して不幸になった義務感は無い

ということ。

逆に言ってしまえば、すべての義務感が不幸に通じるということでした。

義務感には、ただの会話という軽いものから、生きるという重いものまでさまざまあります。

ですが、どんな義務感も人生には不要です。

義務感で行う行為に楽しいことは一つもありません。

自分らしく、楽しい人生を送るために、義務感を感じる行為はどんどんやめていきましょう!

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