- 思い込みで失敗してしまった
- 思い込みを無くしたい
こんにちは、せい(@aodama_s)です。手仕事大好きアナログミニマリストです。
「通販の方が安いと思ったら、店頭で買ったほうが安かった」
「血液型がB型だから自己中だと言ってしまい、傷つけた」
日常には様々な思い込みがあります。それは、良かれと思って言ったりやったりするのですが、時には損をしたり人を傷つけてしまうことがあります。
思い込みを無くせたら…そう思う方に向けて、本記事では思い込みを手放すための方法を捨てるプロであるミニマリストが紹介します。
ただ結論を先にいいますと、思い込みを完全に手放すことはできません。しかし思い込みに振り回されず、損をしたり誰かを傷つけてしまうようなことを避けることはできるようになります。
まずは、ミニマリストであるぼくが実際に持っていた思い込みで手放した一部について紹介します。
些細なものが多いですが、自分でもどうして気付かなかった?と不思議になる思い込みばかりです。
手放した思い込み
店頭より通販が安い
通販のほうが店舗代がかからない分安い。
そう思い込んでいたら、なんと店頭で買ったほうが安いことがありました。その対象は蚊取り線香。おおよそは通販のほうが安いと思いますが、必ずしもそうではないということを改めて認識しました。
それ以降は買う前に値段を比較し、通販で買ったほうが安い商品を定期購入し、それ以外を店頭で買うようにしています。
水を溜めて洗顔
洗顔するなら水を溜めてから。流しっぱなしにするより節水できると思い込んでいました。
しかし、ふと疑問に思って確かめたら、流しっぱなしのほうが使う水は少ないという結果に。水を溜めるほうが、無駄にしていたことが分かりました。
おそらく食器洗いのCMなどから、流しっぱなし=水の無駄という印象を覚えたんだと思います。
ベランダにサンダル
ベランダにでるときは、サンダルに履き替えていました。しかし、そのサンダルがぼろになり、新しいサンダルを用意しないければ思った時に、
ベランダに出るのにサンダルに履き替える必要ってあるの?
…と、疑問に思いました。
ベランダは定期的に掃き掃除をしているので、わざわざスリッパからサンダルに履き替える必要はないと考え直しました。それからは、ベランダにはスリッパか、裸足で出ています。
洗剤無しで「すすぎ」
洗濯機で洗濯をするとき、普通はその内容は『洗濯⇒すすぎ⇒脱水』になると思います。しかしそれは、洗剤を使用する場合にです。洗剤を使うからすすぎという工程が必要です。
ぼくはある時期から、洗剤を使わずに洗濯をするようになりました。にもかかわらず、しばらくの間『洗濯⇒すすぎ⇒脱水』のままで洗濯していました。
すすぐ洗剤が無いのにすすいでいた…なんとも無駄なことをしていました。洗濯はすすぐのが当たり前だと思い込んでいたわけです。
以後は、手動で『洗濯⇒脱水』を行うようになりました。
そして今は洗濯機を使わず手洗いをするようになりました。洗濯は洗濯機で行わなければならないという思い込みも手放しました。
洗濯物を手洗いするようになったミニマリストの、
日傘は女性がするもの
日傘といえば女性。そういう思い込みがありました。日傘をさして日焼けしたくない…というのは、女々しいと思っていたんです。
しかし今は、暑い夏場には日傘を差して散歩しています。昨今の猛暑は命にかかわる暑さ。日傘はそんな照りつける日差しをやわらげ、熱中症になるリスクを下げてくれます。
日焼け云々気にしていられるレベルじゃない。命を守るために、日傘を差すようになりました。
ギフトカードは折ってはいけない
些細な思い込みですが、ギフトカードは折ってはいけないという思い込みを持っていました。そのせいで、二つ折り財布にはギフトカードを入れられず、ギフトカードを入れるためのカバンを持ち歩くということをしていました。
しかし、ギフトカード1枚のためにわざわざ入れ物を別に持ち歩きたくない…そう思って調べたら、ギフトカードは折っても問題ないということが分かりました。
金券ショップで売るときには、折り目で値下げされるリスクはあるみたいです。
今は気にせず二つ折り財布に入れています。
『自分しかできない』
「この仕事は自分じゃないとできない」
以前勤めていた会社を退職するまで、自分が担当していた業務に対しそのような思い込みをもっていました。
もちろん実際にはそのようなことはなく、ぼくが退職した後でも会社は回っています。思い込みといいますか、仕事に対する自負心のようなものだったかもしれません。
グルテンは体に悪い
グルテンフリーと言われるように、グルテンを含まない食品であることを宣伝する商品があります。それに倣い、一時期はグルテンを取らないように。具体的にはパンを避けるようにしていました。
しかし、それからしばらくしてなんとなく調子が悪い。そこでパンを食べてみたら、なんと調子が回復。グルテンはぼくの体には悪いわけではないことが分かりました。
グルテンは体に悪いというメディアの情報で、植え付けられた思い込みです。本当に悪いかどうかは、自分の体で確かめないといけませんね。
成果を出さないと価値が無い
- テストは100点を取らないと価値が無い
- 売り上げを上げないと価値が無い
- 成果を出さないと価値が無い
そのような、〇〇をしないと価値が無いという文言は世の中にあふれています。
しかし、そんなことはありません。というか、そもそも成果で価値云々判断するのは、主人と奴隷の関係だからです。
ぼくたちは奴隷ではありません。成果を出さないから価値が無いなどと言われる筋合いはありません。このような思い込みは、さっさと手放しました。
ここまでぼくが手放した思い込みを見てきました。
次からはこのような思い込みが何故生まれるのか、その考察をしていきます。
思い込みが生まれる理由
思い込みはどうして生まれるのか。
思い込みは、
- 過去の経験
- 周囲の言動
- メディアの情報
から生まれます。
現代は情報があまりにも多すぎる情報社会です。情報の一つ一つを個別に理解していくことは到底できることではありません。そのため、情報を圧縮し、理解しやすくすることが必要でした。それをステレオタイプと呼びます。
つまり、個別に見るのではなく、ある程度の範囲をパターンとみなすことになります。これは、情報を受け取る側には便利ですが、パターンとして見られる側としては問題になることがあります。
過去の経験についても同様です。過去がそうだったからといって、今もそうであるという保証はありません。
昔は音楽を聴くならCDプレーヤーでしたが、今はほぼスマホですよね。
ですが、すべての経験を今に上書きすることは現実的ではない。そうなると、過去の経験のままに今を見ることになります。これも思い込みとなり、今との違いを生む原因になります。
そのように思い込みには問題があります。しかし思い込みの問題は、思い込みの内容よりも、思い込みに対する認識だとぼくは思います。
思い込みの厄介さは『正しさ』
他人の思い込みを指摘した時、逆切れされたという経験をした人はいませんか?
人は自分の思い込みを『正しいもの』であるという認識を持っています。中には、思い込みの内容の正しさを巡って口論になることも。
思い込みを正しいと思っている方は、それを思い込みだと思っていません。それは正しいことであり、事実であると認識しています。それも無意識に。
「男は仕事、女は家庭」は人によっては思い込みではないのです。それは厳然たる事実であり、それを否定する人の方が間違っているとすら言われてしまいます。
そして、正しいと思うがゆえに人は思い込みに固執します。思い込みを改める難しさがそこにあります。
思い込み自体は悪いことではないと思います。多すぎる情報に対し適切な処置をしなければ、人は情報の海に溺れ、何一つ判断できなくなります。
ではそんな思い込みとどのように向き合えばいいのか。
まずは、思い込みに気付くための方法から見ていきましょう。
思い込みに気付く方法
自分が事実だと思っていたのが、ただの思い込みだった。そう気づくにはどうしたらいいのかを解説します。
気付くためには大まかに分けて2つのステップがあります。そのステップは以下となります。
- 正しいという概念を手放す⇒
- 他人との交流
- 読書
- 自分の言動を疑う
それぞれについて詳しく解説していきます。
正しいという概念を手放す
まずすることは、正しいという概念を手放すことです。
思い込みを正しいと信じていては、思い込みは事実となります。気付くことはできません。
事実だと思っていたことがただの思い込みだった…そのように認識するためには、正しさを手放さなくてはなりません。
といっても、正しさを手放すのは簡単ではありません。そこで、ぼくがやっている正しさの手放し方を紹介します。
それは、「死ぬということ以外に事実は存在しない」という考えを持つことです。死はどんな生物にも訪れる絶対の事実。真理といってもいい。そして、それ以外に正しいと呼べるような事実は存在しません。
つまり、死以外は全て思い込みであるという認識を持つということになります。
極端な方法ではありますが、この方法を取ることでぼくは日常の発言を全て事実として話すことをせず、ぼくの意見として話すようになりました。
正しさを手放し、すべての事柄を思い込みとみなすようにする。そのうえで、次の3つの方法を用いて思い込みに気付くようにします。
他人との交流
思い込みに気付くためには、他人との交流が効果的です。
思い込みは無意識の偏見とも呼ばれ、自分の考えは思い込みであるという以前に、思い込みを持っていること自体に気付けないこともあります。
そこで他人との交流を通して、自分が思い込みで行っていた言動と違うことを他人が行っている、あるいは行わないということから気付くことができます。
例えば、「料理の取り分けは女性の義務」という思い込みを持っている人の前で男性が取り分けを行えば、「男性がやってもいいのか!」と気付くことができるでしょう。
読書
読書も効果的です。
本の著者と読者に違いが多くあります。本を読むことで筆者の生まれた場所や時代、環境、状況など自分との違いから思い込みに気付くことがあります。
著者はできるだけ自分とは違うタイプの人間であることが望ましいです。性別が異なるという点だけでも異なる見方をしていて、気付かされることは多いです。
自分の言動を疑う
自分の言動を疑うのもいいです。
今自分が言ったことは、ただの思い込みではないか。
今自分が考えたことは、本当に今もその通りなのか。
そのためには、今よりも良くできることはないかという意識を持つことが大事です。現状に満足せず、さらに向上できることはあるか。
その意識を持つことで、自分の言動を疑えるようになります。
ここまで思い込みに気付く方法を見てきました。
しかし、思い込みに気付いただけでは何も変わりません。気付いた思い込みを直していく必要があります。
次からは、気付いた思い込みの直し方を解説します。
思い込みの直し方
思い込みの直し方について解説する前に、思い込みを直すというのはどういうことかについて先に説明します。
直すというのは、以下の3つに分けられます。
- 思い込みをアップデートする
- 好奇心を持つ
- 受け取る情報を減らす
アップデートするというのは、それまでの思い込みを新たな内容で上書きするということ。
好奇心を持つというのは、対象を事前情報なしに『視る』ということです。
受け取る情報を減らすというのは、思い込みの原因となる大量の情報を減らして思い込み自体が起きないようにすることです。
では思い込みの直し方について見ていきます。
思い込みをアップデートする
これまで思い込んでいた行動・常識をより良いものにアップデートする。物や作業、仕事に対する思い込みに有効な方法です。
これは前述したぼくが手放した思い込みの事例で言いますと、「洗顔のときの節水」になります。溜め水と流水、どちらが節水になるかを検証し、流水のほうが節水できるという思い込みにアップデートしました。
思い込みをアップデートすることで、実は損していたことを無くせるようになります。そして思い込みという認識のままにすることで、違う方法が見つかったときに新たに検証し直せるようにしておきます。
ここで事実認定してしまうと思い込みの内容に固執し、次のアップデートができなくなってしまうので注意が必要です。
好奇心を持つ
自分が思い込みを持っていたと気付いたのなら、まずそれを出さないようにしましょう。人に対する思い込みに有効です。
他人を前にした時、自分が思い込みを口にしようとしたらそれを止める。それができるようになれば、思い込みから来る人間関係のトラブルを回避できます。
そのうえで相手に対し好奇心を持ちましょう。
この人は一体どんな人だろうか?
好奇心は相手を観察し、思い込みではなく自分の五感で確認するということ。そこに思い込みは生まれません。
受け取る情報を減らす
思い込みは大量の情報を処理するために起こります。そこで、受け取る情報そのものを減らすことで思い込みを減らすことができます。
特に減らしたほうがいいのはメディアの情報です。メディアの情報の大半は不要な情報。わざわざ受け取り、思い込みを作り上げなくてもいいんです。
例えば、メディアで「〇〇国の人は陽気で賑やか」という情報を受け取ったとします。それだけで、私たちの中には「〇〇国の人は陽気で賑やか」という思い込みが生まれます。
しかし情報を受け取らなければ、〇〇国の人に対する思い込みはありません。まっさらな状態で〇〇国の人と会うことができます。
最後に
ここまで思い込みに対しどのようにしたらいいのかという点で見てきました。
最後に思い込みについて内容をまとめます。
- 思い込みは過去の経験・周囲の言動・メディアの情報から生まれる
- 思い込みは正しいと勘違いすることで事実と誤認してしまう
- 思い込みに気付くには、正しさを手放したうえで他人との交流・読書・自分を疑うことで気付けるようになる
- 思い込みを直すには古い思い込みをより良い内容としてアップデートしたり、好奇心を持ったり、情報そのものを拒否することで直すことができる
思い込みというはただの悪ではありません。時には、思い込みが身を助けることだってあります。
例えば地震が起きると、建物が倒壊したり津波が起きると思い込み、避難します。このときに思い込みを持たないとすれば、実際に建物が倒壊したり津波が来るまで避難しないということになります。ですが、起きてから判断してはもう遅いです。
車の運転も同じです。車が飛び出してくるかもしれない、歩行者が飛び出してくるかもしれないなど、数々の思い込みをしながら運転しないと事故に遭うかもしれません。
思い込みとは、人間が備えた過去から学ぶ危機回避能力と言ってもいいと思います。思い込みが無ければいいというわけではありません。
その能力を誤ったことに使わないよう、うまく使いこなしていくことが求められます。