自分が普通ではないと思えて、なんとか普通になろうと頑張る。
けれど、なかなか普通にはなれず疲れてしまう。
そんなあなたに向けて提案するのは、普通であろうとすることを手放し、心を楽にしようというものです。
ぼく自身、普通ではないと思える点が多々あり、そんな自分をなんとか普通にしようと頑張った時期もあります。
しかし今はもう自分を普通にしようとは思っていません。
もちろん、今の自分が普通だと思っているわけでもない。
むしろその逆に、『変人』『おかしな人』を自称するくらい、普通であることをやめました。
その結果、ぼくは普通というしがらみから解き放たれ、自由に、自分のやりたいことをして生きています。
この記事ではそんなぼくの経験をもとに、
- 普通とは何なのか?
- 普通を手放したメリット
- 普通を手放す方法
を紹介します。
普通であろうとすることは、とても大変でしかも終わりが見えない迷路のようなものです。
『普通』に苦しんでいるのであれば早く手放して、楽になってほしいです。
ではまず普通とは何なのか?について、考察を話していきます。
少々長いですが、それだけ普通とは単純なものではないということを理解していただければと思います。
Table of Contents
普通とは何なのか?
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まず最初に考察の結論として、普通とは非常にあやふやで不確かなものであり、明確な形が存在しないものである、ということです。
そう結論付けた考察の内容を↓にまとめていきます。
普通とは大多数と同じということ
まず、普通という言葉自体の意味を考えます。
普通について、goo辞書では以下のように定義しています。
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
引用元:goo辞書「普通(ふつう) とは? 」
この中で普通に悩む人にとって重要な意味になるのは、『ごくありふれたものであること』という点になるでしょう。
自分がごくありふれたものでないから、普通になりたいと望みます。
大多数と同じではない自分に悩み、苦しんでいる。
しかし、ここで疑問が生まれます。
『みんな』とは誰?
普通ではないことに悩む人にとって、キツイ一言があります。
普通は『みんな』そうしてるよ。
この一言は、みんなとあなたが違うということを示す言葉です。
ですが、ここでいうところの『みんな』とは一体どの程度の範囲なのでしょうか?
クラスメイト?
学年?
学校?
地区?
市町村?
部署?
会社?
地域?
国?
みんなとは誰のコトでしょう?
このように、普通においてとても大事な『みんな』は、一切定義されていません。
本当にみんながそうなのか、誰も確かめたことはない。
にもかかわらず、なぜか普通を語る人は、さも当然のようにみんながそうであるかのように語ります。
どうして、誰かもわからない『みんな』とやらに、怯えなけれなならないのでしょうか?
さらに、みんなではないとしても、大多数…ある程度の割合以上であれば普通であると考えるとしましょう。
その割合とは、どの程度でしょうか?
例として、しらべぇ『九九が言えない人たち』を参考にさせていただきます。
この調査において、20代で九九を言える自信がない人は11.3%でした。
あなたはこの割合をどうみますか?
これは、九九を言える自信がある人は88.7%であるということ。
この数値を見て、「九九を言えることは普通である」とあなたは思いますか?
ぼくはこの結果をみて、11%も言える自信が無い人がいることに驚き、「九九を言えることは普通ではないのでは?」と思いました。
この割合についても、明確な定義は存在しません。
このように、普通であることを語る上でとても大事なはずの、『みんな』も『大多数』もきわめてあやふやなのです。
存在しているようで存在していない、幽霊のような存在が『みんな』とやらの正体である。
そう考えました。
では次は、普通の人とはどのような人なのかを考察します。
普通の人とは?
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普通の人とは、いったいどんな人でしょうか?
普通の人とは普通のことができる人と一旦定義しておきます。
では、普通のこととは一体何なのか?という疑問につながります。
例えば、足し算引き算といった四則計算ができる、台形の面積計算ができる、掃除ができる、漢字が書ける、自転車に乗れる…などでしょうか。
ほかにも普通のこととされるのは山ほどあるでしょう。
ここでさらに疑問です。
普通の人とは、普通とされることが全てできる人のことなのでしょうか?
方言を例に考えてみます。
方言はある地域で見れば『普通』の言葉です。
しかし、地域が変わればその言葉は聞き取ることができなくなり、普通ではなくなります。
もっと極端に言えば、日本に住む日本人にとって日本語を話すことは普通のことです。
ですが、一度アメリカに渡れば、日本語を話す日本人は普通ではありません。
アメリカでは英語を話せることが普通だからです。
そして、英語を話せる日本人も普通…大多数とは言えません。
言葉に限らず、普通なコトの中身はその地域・文化・コミュニティによって大きく変わります。
あるグループでは普通な人が、別のグループでは全く普通ではない人になるのはよくあることです。
さらに年齢も、普通なコトの境界線になります。
10代の普通と、20代の普通は違います。
つまり、普通の人とは特定の範囲でしかなることはできず、一歩違うコミュニティに移動しただけで普通じゃない人に変わってしまう、とても不確かなものです。
どんな人も、普通の人にもなるし、普通じゃない人になる。
あなたが普通だと思う人も、一歩違う場所に行けば普通じゃない人扱いされます。
どんな場所でも普通の人であることが、どれだけ難しいかは想像できたかと思います。
逆に、普通じゃないと思っているあなたも、場所が変われば普通の人になります。
自分が普通の人になっている時というのはなかなか気づきにくいものです。
ありとあらゆる場面で普通であるということが難しいことと同じように、ありとあらゆる場面で普通じゃないこともまた難しいのです。
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例えば病気にかかったとき、健康な人たちしかいない状況では普通じゃない人になってしまいますが、病院に行けばそこは病人ばかりなので、病人であることが普通になりますね。
『普通』を違う意味で使う人たち
さらに普通という言葉を、本来の意味とは異なる使い方をする人たちがいます。
そのような人たちがいることが、普通という言葉をさらにややこしくさせます。
例えば、男性であれば一度は耳にしたことがあるかもしれない、『女性が結婚相手に求める条件』というもの。
マイナビウーマン『普通の男の条件とは? 婚活女子が求める「普通」は高望みである理由』を参考に考察していきます。
ここでは普通の男の条件として、様々な条件が上がっています。
・年収500万円以上
引用元:普通の男の条件とは? 婚活女子が求める「普通」は高望みである理由
・大卒
・身長170cm以上
・正社員
・長男以外
・清潔感がある
・常識やマナーがしっかりしている
あなたが男性であれば、この条件に当てはまる男性が普通ではない、大多数ではないことはすぐわかると思います。
記事の中でもそのように明記されています。
記事内でも触れていますが、これらの条件は普通ではなく『理想』です。
ですが、婚活女子がこの条件を普通と言い張ります。
理想ではないのだと強く主張します。
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条件の中身が普通なのではなく、この条件を望む女性が多くいるという意味なのであれば、この条件が普通だと言えなくもないかもしれませんけどね。
このように、普通という言葉を使いながらその中身は理想を含ませる場合もあります。
場合によっては、言ってる当人ができないのに「○○するのは普通だ」というのだから厄介この上ありません。
また、↓のような言葉を投げかけられたことがある人もいるのではないでしょうか?
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このくらいのこと、プロなら出来て普通じゃないのか?
ですがよく考えれば、この言葉は矛盾しています。
プロですらできないのだから、普通のことではない。
ただの理想をぶつけてくる、とても理不尽な発言です。
あたかも大多数がそうであるかのように思わせながら、実際は出来る人が少ない事柄をさも当たり前のように要求、普通と称して理想を押し付ける。
こんな事態に苦しんでいる方もいるかと思います。
ここまで長々と『普通』について考察を述べてきました。
この考察の結果、普通とは非常にあやふやで不確かなものであり、明確な形が存在しないものである、という考えに行きつきました。
普通の人になろうとすることが、どれだけ難しいことかもわかるかと思います。
みんなと同じになろうとしても、みんなとは誰なのか、何を同じにすればいいのか。
その内容はあまりに多すぎて、とてもではありませんができることではありません。
普通になろうとすることは、途方もない労力を費やしてもなれる保証は一切無いのです。
この考察を経てぼくが行きついた結論が『普通であろうとすることを手放す』ということでした。
みんなと同じことをしようとしない。
みんなと違う自分はそのままでいい。
誰しもが、普通のときも普通じゃないときもある。
次は、普通を手放したことのメリットを紹介します。
メリットは対外的な面と内面的な面と二つに分かれますので、それぞれ解説していきます。
普通を手放したメリット
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対外的なメリット
普通であることを手放したことによる対外的なメリットは、人間関係における無駄な衝突が無くなり、余計な労力を消耗しなくて済むようになったということです。
普通であろうとする人は、『普通じゃない』という扱いを恐れるあまり、普通と言われることをなんでもやろうとします。
それができないことだとしても。
その結果、多大な労力を強いられ、疲れ果ててしまいます。
さらに、普通であろうする人を自分の都合のいいように使う人もいます。
イヤと言えないあなたの弱みに付け込み、無茶な要求、業務を押し付けてくることも。
また、『普通じゃない』という言葉にきわめて過敏になってしまい、恐れが怒りに変わり、人と衝突しやすくなります。
普通に執着するあまり、人間関係がおかしくなることも珍しくありません。
普通であろうとすることを手放すのは、上記の問題点が無くなるということです。
普通であることをやめれば、できないことにできないとはっきり伝えられるようになります。
無茶な要求や要望にNoを突き付けることができる。
「普通じゃない」と言われたところで、「そうですね、普通じゃないです」と流せるようになります。
さらに変人を自称するメリット
さらに効果的なのは、普通じゃないことを自称することです。
ぼくはよく自分を変人、おかしい人と称します。
そうることで、他人を都合よく使おうとする面倒な人があちら側から避けてくれるようになります。
他人を都合よく使おうとする人は、『普通でいい人』を求めています。
なぜなら、自分の言うことをよく聞いてくれるからです。
何でもやってくれます。
しかし変人を彼らは好みません。
言うことを聞いてくれないし、やってくれない。
まして普通じゃないので、やらせたいことができる保証もない。
変人を自称することは、虫除けならぬ人避けの効果があります。
注意としましては、自称するだけでいいです。
本当に変人になる必要はありません。
わざわざ変なことをしなくても大丈夫です。
内面的なメリット
次に挙げる内面的なメリットは、何にでも挑戦できる心を育てることになります。
それは、普通であるということが枷になるからです。
「普通の人はやらない」と一度は聞いたことがあるかと思います。
それは犯罪的な行為に対して言われることもありますが、それ以外のことも含まれます。
例えば株式投資、ネットビジネス、災害時のボランティア…など、大多数の人が犯罪ではないけどもやろうとしないことを指します。
このような行為を普通が枷となり、挑戦しにくくさせます。
「普通の人はやらない」という言葉が、あなたの足を止めます。
しかし、普通であることを手放せば、その枷は無くなります。
普通ではないのだから、何にでも挑戦できます。
やったことがある人が少ないことに、やってみたいという意思一つで挑戦できる。
周囲で誰もやっていなくても、一人で始めることができる。
そのための心の土台作りに役立ちます。
普通をやめてミニマリストになった
ぼくは普通であることを辞め、ミニマリストになりました。
ミニマリストの考え方であるミニマリズムは、普通ではありません。
ぼくの周囲でミニマリストだという人は一人もいません。
ミニマリストになったことについては公言していましたが、当然良い目では見られません。
物を捨てまくる危ない人だと思われたこともあります。
しかし、だからといってミニマリストをやめることはありませんでした。
ぼくはもう普通ではない。
普通だと思えば、続けられなかったでしょう。
普通であることをやめ、周りと同じにすることをやめる。
その結果、ぼくはミニマリストになり、様々なことに挑戦してきました。
株式投資、SNS、ブロガー、16年勤めた会社を退職…いずれも普通であろうとすればできないことばかり。
普通であることをやめることで、今のぼくがあります。
普通では何も挑戦できない
上記で普通であろうとするためには、途方もない労力がかかるということを述べてきました。
普通であるということは、枷としてだけでなく肩にのしかかる重荷でもあります。
普通であるため、みんなと同じであるため、自分のことよりも周囲のコトを優先する。
そのような状態では、何かに挑戦するための余裕はありません。
歴史の偉人たちは偉業を成し遂げていますが、いずれも私生活は破綻していたという話を聞きます。
『普通』に向ける労力や時間を全て注ぎ込んだからこそ、偉業を成し遂げた。
ぼくはそう考えます。
普通を選び、挑戦を諦めるか。
挑戦を選び、普通を選ぶか。
ぼくは後者を選びました。
あなたはどちらを選びますか?
では次からはいよいよ、普通を手放す方法を紹介していきます。
普通を手放す方法
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普通を手放す方法ですが、実はもうあなたにはほぼお見せしました。
この記事こそが普通を手放す方法そのものなのです。
![](https://honseitago.com/wp-content/uploads/2022/11/unhappy_man2-1.png)
いや、言ってる意味がよくわからないんだけど…
どういうことなのかを解説しますと、この記事を読むことであなたの中で『普通』というものがよくわからない朧気(おぼろげ)なものであるということが見えてきたはずです。
何かを手放すうえで重要なのは、手放したいものが何なのか理解すること。
普通というものが、なんとなく分かっていたはずのものから、全然良く分からないものであるということが分かったというふうに変わっていませんか?
その変化が起きていれば、あなたの心はもう普通に執着していないでしょう。
普通というものに魅力を感じていないはずです。
考えれば考えるほど、普通とは何なのかがよく分からなくなります。
普通であることの何がいいのか、分からなくなる。
そして、後半に語った普通を手放すことのメリットを読んだことで、普通に固執する気持ちが無くなったはずです。
もし、まだ手放す気になれないのでしたら、普通について考えることをやってみてください。
例えば誰かに「○○は普通」と言われたら、〇〇の何が普通なのか?と考えてみる。
普通を疑ってみてください。
![](https://honseitago.com/wp-content/uploads/2022/06/mukiryoku_man.png)
なんか哲学みたいだな。
これはある意味では哲学といってもいいです。
普通とは何なのかという問いを考える哲学。
正解を出す必要はありません。
ただ、あなたなりの答えにたどり着けばそれで十分です。
そうやって何度も普通を疑い、自分なりの答えを出し続けていけば普通に執着することは無くなります。
最後に
普通について詳しく解説してきました。
最後にもう一度記事の内容をまとめます。
- 普通とは非常にあやふやで不確かなものであり、明確な形が存在しないものである
- 『みんな』とはどこの誰かも分からない、幽霊のようなもの
- 普通は地域・文化・コミュニティ・年代でいかようにも変わる
- 理想などの違う言葉を普通に置き換えて使う人がいることでややこしくなっている
- 普通を手放すメリット
- 人間関係の余計な衝突を避けられる
- 無茶な要求、要望を避けられる
- 変人を自称するとさらに効果アップ
- 普通という枷が無くなり、挑戦意欲が上がる
- 普通のために消耗していた労力や時間を挑戦に回せる
- 普通を手放す方法
- 普通について理解を深めることで手放すことができる
- 手放せるまで、何度でも普通について考える
いかがでしたでしょうか?
普通であることをやめ、自分をありのままで生きようと思えるようになれたでしょうか?
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
こんにちは。せい(@aodama_s)です。30代独身男性ミニマリストです。