今回の記事は、ミニマリストとして『楽しみ』を手放したら平穏を手に入れたというお話です。
ミニマリストになって早4年。その4年で色々なものやコトを手放してきました。
趣味のあれこれや、人間関係、家族、果ては会社…しがらみと言われるものまで手放してきた。
手放してきたのはそれだけではありません。中には、楽しみと呼べるものさえ手放してきました。
会社を辞めたことで定期的な収入が無くなり、不安定な日々。楽しみと呼べるものはそのほとんどがお金が必要になります。お金を使うくらいなら、楽しみはやめよう。そうしていると、家計簿での『娯楽』の支出はみるみる小さくなっていきました。
楽しみが無い日々。そんな日々はつまらないだけではないか。しかし実態はそうではなかった。
楽しみを手放した日々にあったのは、平穏でした。
楽しみを楽しむには、お金が必要です。それには時間も労力も要ります。その苦労が、平穏を遠ざけていました。
一人で楽しめないことなら、友人も必要でしょう。しかし、友人を誘うとなれば互いに日程の調整が必要になる。連絡をしてもなかなか返事が来ない。予定が決まらない。あんなに楽しみにしていたのに、予定が決まらないもどかしさから怒りすら湧いてくる。
お金が必要。そのためにはイヤな仕事でも働かなくてはならない。嫌な仕事ばかりで気分が沈んでくるから、楽しみが欲しい。その楽しみのために働かなくてはならない。そんな負のループに陥っている。
時間も必要。そのためには、抱えているコトを前倒しで進めたり、あるいは後回しにして楽しみを終えた後に一気に進めることになる。それは、一時とはいえ過重労働になり、苦しむことになる。
楽しみは所詮一時です。しかし、その楽しみのために生まれる苦労は、楽しみを味わっている時の何倍もの時間を奪う。体力も奪います。
楽しみを求めなければ、苦労も無い。苦労が無い日々にこそ、平穏が待っている。そのことにようやく最近気づきました。
楽しさを求めないから、誰とも会わない日というのは珍しくありません。誰かと会うとなれば、それだけで時間調整や身だしなみを整える苦労が生まれる。誰とも会わない日は、それらの苦労から解き放たれ、笑わない日ではあるけれど、穏やかでいられます。自然と笑みが浮かぶ1日になります。
今日もまた、誰とも会う予定はありません。会話が無い1日になるかもしれません。そんな日が、これ以上ない平穏をぼくに与えてくれます。
平穏とは、苦労や苦しみだけでなく、楽しさすら手放した先にあるのだとわかりました。
それではまた。
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