古典『方丈記』に学ぶミニマリズム思想

どんな記事?

『方丈記』をミニマリストが読んだことで、ミニマリズム思想にどのように活かすことができるのかをまとめた記事

せい

こんにちは。せい(@aodama_s)です。30代独身男性ミニマリストです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

誰もが一度は学校の授業で聞いたことがあるであろうフレーズ。
それが『方丈記』です。

今回は、方丈記を読んでどんなふうにミニマリズムに活かせるのかを解説していきます。

古典というと読みづらく長ったらしいイメージがありますが、今は現代語訳もありますし、しかも全然長くありませんでした。20分ほどもあれば読み終わります。

そして読んでわかったのは、方丈記が驚くほどミニマリズム思想に活かせることです。

この世の無常を嘆いたとされる古典と現代のミニマリズム、その二つがどのように通じてくるのか。

ここからは現代語訳の方丈記の一部を引用しながら、ミニマリストの観点で読み解いていきます。

方丈記とミニマリズム

川の流れは絶え間なく、その水はいつも入れ替わり、もとの水はとどまらない。よどみに浮かぶ泡は、消えたかと思うと生まれ、いつまでもそのまま、ということはない。世の中の人間も、その住まいも、それと同じだ。

方丈記の最初のフレーズの現代語訳です。

ミニマリストというと物を捨てるという行動が目立ちますが、その根本は執着をもたないことにあります。
方丈記では人や家を挙げていますが、それは物とて同じ。
どんな物も、いつまでもそのままということはなく、いつかは壊れ、朽ちていきます。

どんな人も家も、物も永遠ということはなく、いつかは消えてなくなる。
消えてなくなるからこそ、使わずに持ち続けることのもったいなさを感じ、使い続けることで壊れてしまう恐れも無くすことができるでしょう。

あくせくと生活する人も、その人が建てた贅沢な家も、まるで先を争うかのように移り変わり、やがて消えていく。

ミニマリストというと、持ち家を持つことに対して否定的な意見が多いです。
それは、持ち家を持つ際の金銭的なリスク(ローンや頭金など)の高さが理由として挙げられますが、ここでは災害など自然の驚異を前にしてそれらがいかに儚いものなのかを語っています。

火事、竜巻、地震などの災害。
それ以外にも遷都による半強制的な引っ越し。
飢饉により、建物を壊してでもその日の飯を炊く薪を得ようとする始末。

鴨長明が生きた時代は、こんなにも家が簡単に失われていく事件が度々起きている。

最近でも、東北大震災や数々の水害による河川の氾濫、土砂崩れによる住居の喪失は数多いです。

一生の買い物だと思って買った家が、自分の意思と関係なく勝手に廃墟となる。
どんなに大切にしたいと思っても、いつかは壊れる。
そんな家に対し、執着を持つことはどういうことなのか、考えさせられます。

この本文の後にはそれぞれの災害の惨状が綴られています。
いかに家というものがもろく、儚いのかを文章から感じ取ることができます。

権勢のある者は欲深くて、心が満たされるということがない。 誰とも関わらない孤独な 者は、後ろ盾がないことから軽んじられる。財産があれば心配が多くなるし、貧乏なら悔しさや恨みの気持ちが去らない。人を頼りにすれば、その人の言いなりになってしまう。人を養い育てると、自分の心が愛情に振り回されてしまう。世間の常識に従えば、苦しくなる。従わなければ、まともではないと思われてしまう。

まるで現代を見ているかのような本文だけども、これはつまり、鎌倉時代から現代が抱えている悩みは何も変わっていないということです。
どんな時代になっても、人の悩みは変わらず、悩みが解消されることは無いということを物語っています。

ここで感じることは、ミニマリズムという生き方は必ずしも正解というわけではない、ということです。
人への執着を絶って孤独の道を選ぼうとも、お金への執着を手放そうとも、世間の常識を疑い捨てたとしても、いずれも苦悩の道が無くなるわけではない。

少なく生きることを選んだからといって、それで楽になれるかといえば、それはそれで新たな悩みが生まれる。
決して楽な道など無いという警鐘が、この本文から感じとれます。

もし、念仏をするのが面倒になり、読経に気持ちが向かないときは、思いのままに休み、なまける。それを禁じる人もいないし、誰かに対して恥ずかしいと思うこともない。

50歳を越え、出家した鴨長明の赤裸々を語っています。
山にひっそりと一人で住んでいる状況では小うるさく注意してくる親類も友人もいない。

これは現代人だけでなく、当時の人たちにとっても、その有様を堕落だと蔑みつつ、それを羨ましく思う気持ちがあったのではないでしょうか。

ミニマリストにとっても同様で、誰かに対する恥じる気持ち、いわば見栄を手放すことができることが、このように自分を優先した行為をすることに抵抗がなくなることでしょう。

琵琶をうまく弾けはしないけれど、だれかに聞かせて喜んでもらおうというのではない。一人で弾き、一人で歌い、自分の気持ちを豊かにしようというだけのことだ。

ただただ自分が楽しいと思う行為に没頭し、誰かのためでもなく、自分の気持ちを豊かにするためだけ。
人目を気にせず自由な様を見せつける人の姿は、時には人に恥ずかしいことだと思われることもあるでしょう。
それでいいのだと、まるでエールをもらっているかのような気分にしてくれます。

ミニマリズムもまた、誰かのためではありません。
自分のため、自分だけを豊かにするための思想
その思想を持つことへの負い目を軽くしてくれます。

ただもう、自分自身を自分の下僕にしておくほうがいい。どのようにして下僕とするかと言えば、もし、するべきことがあれば、自分の身を使えばそれでよいだけだ。疲れて しまうこともあるけれど、人を使い、そのために気を遣うよりは、気楽だ。

人間関係に翻弄され、煩わしいと感じるのは鎌倉時代から変わらないようです。
他人に迷惑をかけるな。
他人を頼れ。
そのような煩わしさから逃れたければ、自分自身を下僕とし、自分で行えばよい。

現代はどうにも自分で何かをすることをやたら高尚のように扱い、雑事を自分で行うことを下品だと思っている、そのように感じます。
時短家電などその極みで、そのために高い金を払い、修理で面倒なやりとりをはさむ。
最初から自分の手でやれば何も面倒などないのに、と思っています。

ぼくは時短家電は否定派です。
自分でやれば、その分疲れるし、時間も失う。
だけど、それよりももっと面倒なこと。それは金を稼ぐことだったり、煩わしいやりとりだったり、そういうことを避けることができます。

自分を使う。下僕のように。
ぼくのように人と接することに気を遣う人からすれば、この有り様はとても励みになりました。

都に出かけることがあって、そんなときは自分が落ちぶれたと恥じるとはいえ、帰宅し、ほっとして落ち着くと、他人が俗塵の中を走り回っていることが気の毒になる。

こういった文章が、方丈記が語り継ぐ点でもあるのでしょう。
決して、今の自分の有様を誇らしいと思うわけではない。
落ちぶれた、恥ずかしいという気持ちはある。
人がいればそんな気持ちになるし、人がいなければ憐みを持つこともある。

そんな人間らしい有様が、鴨長明を手の届かない存在ではなく、縁側で並んで座っている茶飲み友達のような感覚にさせてくれます。
だからこそ、崇拝の対象ではなく、「自分もこうありたいな」と心にろうそくの火をともしたようなささやかな憧れの気持ちが生まれてきます。

ミニマリズムは、流行にながされず自分らしさを生きる事が大事です。
ですが時には、その流行に乗っていない自分をみじめに思うこともあるでしょう。
それでもいい、そう感じるのが人間なんだと、教えてくれます。

ここまで、本文を引用しながらミニマリズムにどのように活かせるかを解説してきました。

あなたのミニマリズム思想に何か活かせる点はあったでしょうか?

現代とは年代がかけ離れた鎌倉時代の話であり、その環境は大きく違います。
ですが、人自体は環境ほどの違いはありません。
その思想、悩みはほぼ変わらずといって良く、だからこそ今読んでも学びになる点は多くあります。

ミニマリストとして、ミニマリズム思想をさらに深めていきたい人にはぜひオススメする本です。

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最後に

方丈記はとても人間らしい読み物です。
無常というイメージから仏教のような堅苦しさを連想させますがそんなことはなく、むしろ人間臭くて親しみを覚える本です。

せい

気まぐれで読んだ本でしたが、まさかここまで学びを得ることができるとは思いもしませんでした。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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