今回は髪が面倒だからハゲになりたい、というお話。
いつものカット
「カットは5mmのスポーツ刈りでお願いします」
行きつけの理髪店に行くと、カットはいつもこの注文です。
5mmといえばほぼ坊主と変わりませんが、それでもまだ坊主にするには勇気がなく、スポーツ刈りで頼んでます。
カット後はこんな感じ。
正面↓
真横↓
こうやって改めてみると、自分の髪の密集具合の薄さがよく分かります。
本数が少なく、髪の毛自体も細い。一時期は薄毛がコンプレックスで、色々なんとかしようともがいていたこともありました。
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しかし今はそのコンプレックスも無く、遠慮なく短くしています。短くしたことでさらに髪の悩みは消え、今は髪について考える時間は皆無。この短さですから、髪のセットは何もしようがありません。寝ぐせも付きようがないので、髪のチェック時間すら無し。
「そろそろ伸びてきたし、切ろうかな」
髪を切ろうかなと考えるのは、湯シャンしているとき。そのときだけは髪に触れるので、髪の伸び具合が分かります。
早くハゲになりたい
ここまで短くして日常のセット時間を無くしたけれども、この状態に慣れてくるとまたメンドクサイという気持ちが湧いてきます。ああ、また切りに行かなくちゃと。
髪を切る費用も気になります。今はカット代が1,100円(税込み1,210円)。昔は美容室で4,000円弱で切ってもらっていたので、それに比べれば1/3以下の金額ですが、もっと節約したいという気持ちになってきます。
1,210円×12カ月=14,520円。
今では早くハゲになりたいと望んでいます。髪に関する煩わしさを全て投げ捨てたい。
坊主は嫌なのにハゲは良いという謎の思考ですが、子ども時代ずっと坊主だったので、もう今更は嫌なんですよね。いっそのことハゲの方がいい。
仏教では髪とともに煩悩も手放す
ちなみに仏教では禿げ頭にするのが通例ですが、これは髪にまつわる煩悩を手放すためだとか。髪を無くすことで髪の悩みや髪形の見栄などを捨て、修行に集中するという意味合いがあるそうです。
ただ仏像などを見るとわかりますが、お釈迦様の像は頭に小さい丸がいくつも付いています。あれ、実は天パなんですよね。お釈迦様は強烈なまでの天然パーマだったと言われています。
天パについては、頭のいい人は天パになりやすい=お釈迦様は知恵者であった、という俗説もあります。
ただ、お釈迦様が髪のある像ばかりなのに、髪を手放すことをお釈迦様が仰ったのかについては、ちょっと疑問。
まぁそれはともかくとして、髪は短くすればするほど、悩みは減っていきました。ハゲになれば、今持っている悩みも全て消え去ってしまう。そう思うと、床に落ちている抜け毛もハゲまでの道しるべのようで愛おしく…は流石にならないですね(笑) ただのゴミです。
それではまた。
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