楽しいだけならやめるべき?無駄なことはやめたほうがいい?

無駄なことはやめて、もっと有意義なことをしたほうがいい!

そう思っても、じゃあ何が無駄なんだろうと悩んだりしませんか?

特に男性ですと、コレクターと呼ばれる何かを集める趣味を持つ人は多いです。
そういったものは世間的に無駄扱いされることが多く、もうやめたほうがいいだろうかと思い悩みますよね。

この記事では、無駄とは何か?ということについて、具体的な事例と共に解説し、無駄をどう考えたらいいかを述べていきます。

この記事を読めば、これは本当に無駄だろうか?と悩んでいることについて、答えを出せるようになっていきます。

何が無駄なのか?

まず結論から申しますと、何が無駄なのかは誰にも分からない。
だから、楽しんでいることを無駄扱いして辞めるな!ということです。

分からないんなら、この記事もう終わりじゃん。

それではあまりに中身が無いので、ここからはなぜそう言えるのかについて解説していきます。

無駄に見えて無駄じゃないこと

ここでは、無駄そうに見えて実は無駄じゃなかったことを紹介していきます。

昆虫採集

養老孟司氏をご存じでしょうか?

『バカの壁』の著者として知られ、400万部を超えるベストセラー本です。
そんな養老孟司氏が大好きなのが昆虫採集。

昆虫採集といえば、子どものころは誰しも一度はやったことはあると思います。
しかしそれはあくまでも子どものころの話。
大人になった今では、昆虫採集を続けている人は昆虫学者でもなければやっていないでしょう。

しかし養老孟司氏は、既に老齢の域に達してもなお昆虫採集を続けています。
大好きだから。
楽しいからです。

そしてそんな昆虫採集を続けた結果、その知識の深さ、行動力は昆虫学者にすら匹敵しています。
どれだけ養老孟司氏が昆虫に詳しいかは、昆虫学者との対談本が発行されるほどです。

ただの趣味として続けていた昆虫採集を通じて、このような高みにまで発展しました。

昆虫採集は無駄なことでしょうか?
大人がやるべきものではないでしょうか?

しかし実際には、虫の身体の機構を真似て人間の技術として採用していることもあります。

虫に学ぶ新たな技術の可能性 ~昆虫や小さな生物の機能を生かしたモノ作りはいま! 【ひでたけのやじうま好奇心】

さらに、インターネットが発達しSNSが普及したことで、日本中…いや世界中の虫たちがインターネットに集まることになりました。
中には、ただ昆虫採集が趣味の人がSNSに載せた虫が、実は新種だったということもあるから驚きです。

新種発見、これからはSNSで? 生き物の報告相次ぐ

空を見上げて雲の形から連想

空を見上げてみてください。
そこに雲は浮かんでますか?
その雲はどんな形をしていますか?

こんなことを日がな一日やっていたら、「働きもせず何をやっているんだ!」と怒られてしまいそうですよね。

しかし、このような一見何の意味も無い、無駄に見えるようなことを大真面目にトレーニングとして提唱している方がいます。

それが、前刀禎明(さきとう・よしあき)氏です。

前刀禎明氏は、「ipodの仕掛け人」とも言われ、日本でappleを流行させた立役者です。
そんな彼が流行らさせるためのアイデアを生み出す原点の一つとしてやっていたのが、「雲の形から何かを連想する」という遊びです。

そう、前刀禎明氏にとってはトレーニングではなく、ただの遊び。
楽しくて、好きでやっているだけ。
しかし、その遊びを通じて一つの物を違う物、別な視点で見るという力を養いました。
その力が、スティーブ・ジョブズにすら求められたのですから、ただの無駄なこととはとても言えませんね。

「僕は、誰の真似もしない」という著書には、これ以外にも自らの創造性を上げるために、一見無駄にしか思えないようなトレーニングが紹介されています。

他のトレーニング方法も知りたい!という方は↓の著書を読んでみてください。
今ならKindle Unlimitedで読み放題です。

PCからキーボードを無くして持ち歩く

何を指しているかは、わかりますか?

そう、スマートフォンです。

もはや今では誰しも持っているスマートフォンですが、発売された当時は今のような人気は無く、まだまだ携帯電話という時代でした。

発売された当時は、ぼく自身も以下のように思っていました。

携帯電話はあるし、パソコンは持ってるし、わざわざスマートフォンなんて高い物を別に持つ意味はないでしょ。

このように、当時は今では信じられないほど不人気でした。
それは、スマートフォンでできることは、既に別の機器でできていたからです。
新しく何かができるようになったわけではなく、ただ既存のものが持ち歩けるようになっただけ。
だから無駄なもの扱いであり、買う人はほとんどいませんでした。

しかし今やこの有様です。
無駄なもの扱いが、今では必需品となっています。

いかがでしょうか?
一見すると無駄なものが、実は無駄じゃなかったという実例を挙げてきました。

こうなると、何が無駄なのか分からなくなってきますよね。
ましてSNS全盛期のこの時代。
何がヒットするのか本当に読めない時代になってきました。
少し前なら何の意味も無いと吐き捨てられたことが、世の中をひっくり返すほどになっている。

無駄って、何…?

…という状態になってきたのではないでしょうか?

何をもって無駄と判断するのか?

そもそも、何をもって無駄という判断をするのか。

それは、利益がでるか、ではないでしょうか?
もっと明け透けに言えば、お金になるかどうか、です。

お金を払って資格を得たけど、その資格を使う仕事に就くことができなかった…としたらどう思いますか?
その資格を得るために払ったお金を、無駄だと思ってしまいますね。

10年間、全然利益が出ないことを続けてきたけど、11年目にしてようやく利益が出たとき、果たしてそれまでのことを無駄だと言うでしょうか?
いえ、きっと「これまでの苦労は無駄じゃなかった!」と言うのではないでしょうか。

お金になれば無駄ではなく、お金にならなければ無駄となる。
それが、無駄かどうかを判断する要因です。

そして、だからこそ無駄かどうかを判断するのは難しいのです。
何故なら無駄と判断するには、ある意味では利益にならないことを保証しなければならないからです。
ですが、果たして未来永劫利益にならないことが果たしてあるでしょうか?

今は何でもお金につなげることができる時代です。
ホームレスですら、ホームレスであることをお金にできる時代になりました。
こんな時代で、お金にならないことをどうやって保証できるといえるでしょうか?

無駄であると判断するのは、とても難しい…いや、無理だといってもいいかもしれません。

無駄を考えることが一番無駄

何が無駄になるかは全く読めない、誰にも分からないということをここまで語ってきました。

そうなりますと、無駄を考えることが一番無駄なのではないかと思えてきます。
前述した一見無駄に見えて無駄じゃなかった事例も、もし自分がやっていることが無駄なのでは?と考え、辞めていたらその先のことは無かったでしょう。

無駄かどうかを考えずにやり続けたから結果が出た。
楽しいからということを優先したから、結果が出た。

そう考えていいと思います。

楽しんでいるなら、無駄かどうかを考えなくていい

そして事例に学ぶのであれば、楽しんでいるなら辞める必要はないということが言えます。

楽しんでいて、今日も明日もやりたい。
それがたまたま何十年も続いた時、ふと芽が出て利益になることがある。
このように考えていいと思います。

そもそも、自分が楽しんでいることを無理に利益につなげて考えようとすると、逆に楽しくなくなってしまうこともあります。

お金になんかならなくてもいい。
自分が楽しんでいればそれでいい。
たまたまお金になる機会があれば、儲けもの。

そう思うことが、今の時代には必要なのではないかと考えます。
何でもかんでも効率化を考え、無駄を排除し、有意義という言葉に縛られる。
そんな世の中の在り方に対し、無駄だと思えることが無駄ではなかったというのは、ある意味皮肉のようにも思えます。

最後に

無駄について述べてきました。

何が無駄なのかは誰にもわかりません。
今は無駄だと思っても、1年後、5年後、10年後まで無駄だという保証もない。

無駄を考えることが一番の無駄。

楽しいと思えることはやめないで楽しみ続けるのが、一番の最適解です。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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