捨てすぎダメ?服を捨てすぎた男の末路とは…

今回は、ぼくがミニマリストに成りたてのころ、服を捨てすぎて後悔したことを紹介していきます。

どうせ着る服が無くなったとか、そんなんでしょ?

確かに明日着る服が無くなるほど捨ててしまいました。

しかし、ぼくが感じた後悔はそうではありませんでした。
どんな後悔だったのか?
それを紹介していきます。

服を捨てすぎて感じた後悔

ぼくが感じた後悔は、着たくない服にお金をかけていたということでした。

ツイッターで、以下のように発言しています。

クローゼットに入っていた服はどれもぼくにとって着たい服ではなく、全てゴミ袋に突っ込んでしまいました。
着たい服は、そこにはなかったんです。

この絶望感に加えて、着たくない服に何万円もお金を払っていたという後悔が、当時のぼくに押し寄せていたんです。
買った服を、全てゴミ袋に突っ込んでしまっていたという事実。
何万円もかけてわざわざゴミ袋を量産しただけ。
「着たくないな~」というシンプルな判断だけのはずなのに、ほとんどの服がそれに当てはまったこと。

ゴミ袋の数は、過去の自分の愚かな行為の証。

このときの絶望感と後悔は、のちのぼくのミニマリズムに大きな影響を与えてくれました。

どんな服の買い方をしていた?

そもそもどんな服の買い方をすれば、全部捨てたくなるような服ばかり買うのか。
それを少しだけ紹介します。

当時のぼくは、ネット通販ですでにコーディネートされた服が定期的に届くサブスクを利用していました。
なので、自分がどう感じるかという点は一切無く、ただセット品が届くというものでした。

このサブスクを利用していた理由は、自分にはセンスが無いからと思っていたからです。

せい

ぼくにセンスは無いから、プロがコーディネートしたものを着よう

なので、

  • 自分が何を着たいか
  • どんな服が好きか

といったことは全然自分で考えず、思考停止状態でした。
これが後になって失敗だったことに気付きます。

また、

せい

かっこよくコーディネートされた服を着れば、ぼくもかっこよくなれる!

という、何の根拠もない思い込みもありました。
それによって、服を着るというよりも、服に着られているという状態にもなっていました。
そんな状態では、カッコいい服を着ていても違和感しかない。
その違和感が、後になって着たくないという意識だとわかりました。

他人任せの服選びをやめた

どんな服が着たいか。

どんな服が好きか。

そういったことを考えずに服選びをすると、捨てたくなる服を買うだけになってしまう。
それからのぼくは、服選びに徹底的にこだわることになります。

それまでは一切やったことがなかった試着をし、全身鏡の前で確認するようになりました。

  • 着心地はどうか?
  • サイズは問題無いか?袖や裾が余っていないか?
  • 色に違和感は無いか?
  • 服の組み合わせに問題は無いか?

などを徹底的にこだわり、少しでも違和感があるとそれは買わないことにしました。

着ては脱いで、また服を選びに売り場に戻り、それを何往復も繰り返す。
面倒だと感じたことはもちろんあります。
しかし、今それを怠れば、もっと面倒なことが後になって起こることになる。
その一心で、試着を繰り返しました。

もちろん、良いと思える服が無ければ何も買わずに帰ることもあります。
妥協では絶対に買わない。
妥協で買えば、後で絶対後悔する。
また捨てたくなる。

せい

過去、「夏らしい装い」をしたほうがいいかな?と思って、違和感を無視して白シャツを買ったことがあります。
が、やっぱり違和感が消えなくて、1回袖を通しただけで捨てました…

最後に

服を捨てすぎて後悔の話をしてきました。

服はお金を出さないと買えない。
なのに、着たくない服にお金を払っていた。

服の捨てすぎは、そんな現実を目の前に突き付けてきます。
過去の自分の行いがいかに愚かだったか、山が大きければ大きいほど痛感します。

服を捨てなければ、そんな後悔を感じない人生を送れたでしょう。
それはそれで幸せだったかもしれません。

しかし、その後悔があったからこそ、ミニマリズムにおける不要な物は買わないという意識をはぐくんでくれたと思っています。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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