[雑記]果報は寝て待て

漬物がまだできません。

もう漬け始めて1週間になりますが、気温が寒くてなかなか発酵が進みません。
寒い台所に置いては発酵が進まないと思い、今は部屋に置いています。

まだ白い泡が少なく、ただの塩漬け野菜という状態です。
食べられないわけではありませんが、ぼくは発酵した漬物が食べたいのでこのまま発酵を待ちます。
赤い理由は、赤かぶも入っているからです。

『果報は寝て待て』ということわざがあります。
このことわざの意味を最近まで間違えて覚えていました。

ぼくはてっきり、気長に待てばそのうちいいことがある、という程度に思っていました。
しかし実際の意味は違うのですね。
やるべきことをやり、もうやれることが無いという状態になったとき、あとは焦らず騒がず、落ち着くことだということです。

同じことわざとして、『人事を尽くして天命を待つ』というのがあります。
つまり、何もしていないのにただ待つだけではいいことなど起こり様が無い。
やるべきことをしっかりやった上で、待つこと。
それが大事です。

漬物づくりも同じです。
野菜を切り、塩を入れ、そして発酵できる環境に置かなくては漬物になりません。
どこにでも置けばいいものではないし、どんな野菜でもいいというわけでもない。
漬物の発酵には、微生物が必要です。
ただ、どんな野菜にも微生物がいるかというと、やはり野菜によって違う。
それも考えないと、いつまで待ってもただの塩漬け野菜にしかなりません。

野菜を刻んで塩を入れて、あとは待っていればいい。
ですが、これでは漬物の『果報は寝て待て』には足りませんでした。
ちゃんと発酵するための気温が必要だったのです。

しかしながら、現代は『果報は寝て待て』は死語になりつつあるような気がします。
寝ながら待つ、などとのんきなことを言えない雰囲気があるように感じます。

このことわざの意味を深読みすれば、やるべきことをやったとしても結果はすぐに出るものではないというように読み取れます。
しかし現代はどうでしょう。
すぐに結果を求めてばかりに思えます。

結果であれなんであれ、今の現代の問題は『待てない』ことにあるように感じます。
新人は使えないとぼやく上司がいます。
それは、新人が成長するのを待てないから。
投資は儲からないと嘆く人がいます。
それは、値上がりするまで待てないから。

そうやって、待てない人たちが増えていった結果、世界はどんどん荒れているのではないでしょうか。
移動時間が待てないからと、新幹線を作る。
そのために山を、森を切り開き、膨大な電力を使う。
待てないことが、世界をゆがませているように感じます。

ぼくは、冬も外に洗濯物を干します。
暖房で乾かすようなことはしません。
もちろん、冬はすぐに乾きませんが、乾かないわけではないです。
他の季節なら1日で干せるけど、冬でも2日干せば乾きます。
待っていれば、同じ効果を得ることがちゃんとできるんです。

無駄なエネルギーを使わなくても、待てばいい。
そのゆとりが現代は無くなってしまったように感じます。

ぼくは干物や干し果物をよく作りますが、全て天日干しです。
しかし、ネット上で作り方を探してみると、オーブンや乾燥機など電化製品を使った方法がよく見られます。
電化製品を使えば、外の不安定さが無く、確実に、早くできます。
ですが、その分電気を使います。
こういったところにも、待てないという状況が見られます。

干物づくりは、最低1週間、長ければ一か月待ちます。
最近干し柿を作りましたが、食べられるようになるまで一か月待ちました。
しかし、待ったおかげで干し柿は美味しく、しかもコストもかかりません。
待たないということは、それだけコストを無駄にすることでもあります。

待てばタダ。
待たないから有料。

ぼくも以前は、タイムイズマネーという考えから、なんでも時短時短と考えていたことがありました。
しかし、漬物や干物を作るうちに、時間を惜しむ意識から、時間を存分に使う意識に変わりました。
時間を掛けないことよりも、逆に時間にお任せる方向へ。
時短という考えは、むしろ時間を粗末にしていないか?
そう思うようになってきています。

現代人は、待てないから心に余裕がなく、そしてお財布にも余裕がなくなっているのではないか。
ぼくはそう思っています。

『果報は寝て待て』
待つことの大切さ、重要性をもう一度日本人は思い出してほしいと思います。

それではまた。

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