[雑記]腐ったモノもキエーロで処分できる安心感と薄れる罪悪感

今月初め、柚子ジャムを作りました。

関連記事→[雑記]ゆずジャムづくり

作ったジャムはコツコツ食べていたんですが、ここ最近になってとんと忘れてしまい放置。昨日、ふと思い出してジャムを確認したら…もう食べられなくなっていました。

見た目は問題無さそうだったんですが、なんとなく白っぽい感じがしました。砂糖の結晶が浮かんできただけかな?そう思いつつ不安がぬぐえなかったので、舌先でちょっとだけ味見。するとピリピリとしたありえない刺激感がしたので、これはまずいと思い、捨てることにしました。

これまでは腐ってしまったものは生ごみとして処分するしかなかった。しかし今は違います。キエーロがありますから。

関連記事→[雑記]キエーロ始めました

キエーロのおかげで、ゴミに出すことなく処理できる。これはかなり安心です。生ごみは水分を含んでいるので、ゴミの重量を増やしますし、燃えにくいことから焼却場の燃料も消費します。

ぼくが住む福島県は、令和3年度のゴミ排出量が全国ワースト2位という不名誉な地位にあります。その原因が燃やせるゴミであり、その1/3が食品残差など生ごみです。

関連記事→福島県「燃えるごみ組成分析調査結果について(速報)」

福島県の県庁所在地である福島市は、ゴミの処分費用が38億円と市税収入の1割相当を費やしているとか。福島県のゴミ問題はかなり深刻であるといっていいでしょう。

そういったことからも、生ごみをゴミとして出す必要が無いキエーロにはこれからもお世話になりそうです。

他の生ごみと一緒にジャムはキエーロに埋めました。

ただふと、これまではゴミを増やすことになるからと気を配っていた生ごみが、ゴミとして出すことがなくなったことで生ごみにする罪悪感が薄れてしまいそうだなと思いました。

ゴミにする罪悪感から、冬瓜の種や魚の骨など普段食べないものを食べられるようにならないか色々挑戦してきました。しかし、キエーロによってその挑戦意義が少し薄れてしまいそうに感じました。

ミニマリストとしてよく考えるのは、「これを買ってどう処分するのか?」というものです。これは、買う時点で処分方法を考えることで、処分が大変なものは後々面倒になるから買わないようにしようというもの。しかしこの考えは、処分が簡単である場合には使えません。むしろ、簡単ならとりあえず買ってしまえと、物欲を許すことにもなりかねません。

もちろん今後も、これまで食べてこなかったものを食べてみる挑戦は続けるつもりです。ですが、「ここまでする意味があるのか?」と考えてしまいそうだなと思いました。

それではまた。

コメントを残す