[雑記]労働を『推奨しない』世界へ

ベーシックインカムという制度を聞いたことがありますか?

ベーシックインカムとは、国が全国民に一定の所得を毎月給付する制度。これによって飢餓や住む場所が無いなど生存に必要な物を最低限保証することができます。

つまり、働かなくてもいい制度ということになります。まさに夢のような制度ですが、実際にはこの制度は日本にはありませんし、世界的に見てもまだ導入された国はありません。試験的に実施しているところはありますが。

このベーシックインカム、働かなくてもいいということで、国民の労働意欲の低下を招くおそれがあるとして導入に否定的な意見があります。しかしぼくはそうは思いません。

まず、労働意欲の低下についでですが、これは現代の金持ちを見てればわかります。労働をやめた金持ちがいるでしょうか?見当たりませんね。もちろん、金持ちなどはほとんどが資本家ですから、彼らの行為を労働と見るかは別れるところかと思います。いずれにせよ、彼らは収入を得るための行為をやめていません。

投資の神様と呼ばれるウォーレン・バフェットは、世界でも指おりの資産家で、御年93歳という高齢ですが今なお投資をやめていません。お金があれば働かないという説を、真っ向から否定している存在と言えるでしょう。

また、株の配当金などで定期的な不労所得が得られるようになり、サラリーマンとして働くことをやめるFIREも一時期流行りました。しかし結局は、また働き始めたという話をよく耳にします。規格外の金持ちでなくても、不労所得があっても働くことをずっとやめるということはないようです。

これはつまり、人が働くということは何もお金に限らないということだと思います。働くことには金銭を得る事以外の目的があるということ。ただ、そういった目的はなかなか目に見えないものです。社会貢献とか、自己実現などありますが、それらはなかなか可視化しづらいし、自分でも気付けるものではありません。ですから、目に見えやすいお金を理由にしてしまうのだと思います。

特に昨今の若者は、すぐに離職してしまうという話をよく耳にします。その理由として給料が安いということが挙がりますが、本当にそれだけでしょうか?本当は別のことだけれど、自分の中でそれが何なのか分からない。とりあえず言いやすいお金ということにしてみただけではないでしょうか?

もっと短い労働時間に

労働意欲の低下については様々な要因がありますが、その中の一つとしてはやはり長時間労働が挙げられると思います。

長時間労働といっても、長く働くこと自体が悪いわけではないと思います。自分の好きなこと、得意なことを仕事としている人は、時間を忘れて働き続けていますから。しかし、全員が全員そういうわけではありません。

そこでぼくが考えるのは、働き足りないと感じるくらいにまで労働時間を制限するというものです。働きたくても働けない、そういう制度があれば労働意欲は向上するのではないかと思います。

そもそも現在の労働環境は、本当に仕事が多くて長時間労働になっているのでしょうか?一部はそういう環境もあるかと思いますが、そうでもない環境もあるのではないかと。

どのような環境かというと、何のためか分からない仕事をただ非効率的に長々とやらされるだけの環境です。大して中身のない仕事を綿菓子のように膨らませ、如何にも中身があるかのように見せかけて働かせている。そういう仕事が増えているのではないかと思います。

働く時間はもっと短くすること。それは作業効率を上げるためではなく、働くことに希少価値を持たせることにあります。

単純な話ですが、何事も多すぎると価値は下がり、少ないと価値は上がります。働く時間を短くすることで労働そのものの価値を上げ、より意欲的に取り組みやすくする、というのが目的です。

何事もダラダラやっていれば意欲など上がるはずがありません。もちろん、「弛んでいてけしからん!」など怒声を飛ばしたところで逆効果。ダラダラやってしまう原因には、無駄に時間が長いことが原因です。1日8時間労働にこだわるようでは、今の時代の流れにはついていけないでしょう。

昔は8時間も働けることに価値があったかもしれません。仕事が無い時代では、働けること自体に価値があったでしょう。今では労働の価値は底辺です。避けられるなら避けたいが現代人の本音。

もしベーシックインカムを導入し労働時間を短くしたら、最初は従業員は仕事がすぐ終わることに喜ぶことでしょう。生活の心配もありません。ですが、その状態は長く続かないと考えます。

最初は家に早く帰って、好きなことをやって楽しみます。しかし、段々と楽しめることが減っていき、何もせずダラダラとテレビや動画だけを観る時間が増えていくことでしょう。

楽しいことが楽しいのは、ひと時の間だからです。仮に夢の国に365日通ったらどうでしょう?365日ずっと楽しめるでしょうか?きっと、最初の1週間ももたないと思います。

少ないからこそ価値がある。労働もこの価値観に照らし合わせて、働ける時間を減らす。そうすれば、働く人は自らその価値を得るために働きたいと思うことでしょう。時間が短いなら、短い中でより成果を上げようと奮闘することと思います。

重要なのは、どんなに働きたいと申し出ても断ること。価値を維持するためには、労働時間は決して延ばしてはならない。残業など論外。労働の価値には社会貢献や自己実現もありますから、それを得るためにも短い時間のなかで試行錯誤しようと躍起になるでしょう。

時間を変えてしばらくは売り上げは下がるでしょうが、徐々に戻ってくることと考えます。指示を出さなくても、効率を上げようとしてくれるかも。

お金を払って労働を買う

これはただの思い付きですが、労働を買うというのはどうでしょう?

労働はお金を得るための手段ですが、その労働をお金を払って買うのです。もちろん労働の結果として給料は貰います。労働をする権利を、お金を払って買うのです。

つまり、ある会社が「うちで働きたいなら○○万円払ってください」ということです。労働をするための基準を上げることで、労働の価値をさらに高めます。こんな方法がうまくいくかどうかはさっぱりですけどね。

ただこのようにすれば、その会社の価値はおのずと上がるでしょう。お金を払わないとできない労働ですから、払う側が価値を感じてくれます。いくらでも手に入るガラス玉の価値は低いけど、なかなか手に入らないルビーの指輪が価値あるように。

時代の流れとしても、「いくらでもある」というのはだんだん価値が無くなってきました。例えばコンビニは24時間営業に価値がありましたが、今ではその価値はどの程度あるのか分かりません。だんだん24時間営業も無くなるかもしれませんね。

ぼくはパン屋によく行きますが、その中には週1回だけ、それも日中の数時間だけというお店もあります。しかし評判は悪くない、いやむしろ高評価といっていいです。これも、営業時間が少ないという希少価値が生み出しているかもしれません。

ブロガーになって労働時間が自由になったけど…

ぼくはブロガーになってもうすぐ2年が経とうとしています(ブログ自体は4年前から始めてます)。

本業にしたので、ブロガーとしての労働時間には決まりがありません。いくらでもできるし、やらなくても誰かに咎められることもありません。ただ、FIREしたわけではないので、このままいくと資産が無くなるのである程度稼ぐ必要はあります。

状況としては1/3くらいFIREしたような感じですが、この2年間で感じたのは暇が辛いということです。いくら遊んでても誰にも何も言われない。下手に外に向かって何か言うとやっかみを受けるので、何も言わない。そうしてしばらく過ごした結果が、暇です。

結局、何もしなくてもいいという状況が嫌になり、今では毎日欠かさずブログ記事を書くかネタ漁り、ポストの更新作業をしています。誰かに何か言われてるわけでもなく、自分からそうしています。

つまりは労働しなくてもいい環境を与えられても、自分から労働の環境に戻ってきました。そんな自分の感覚からいって、ベーシックインカムを導入したとしても労働意欲の低下は一時的。その一時的な状況を乗り切れば、むしろ意欲は向上するのではないかと思います。

労働を義務としてとらえるのではなく、逆に価値あるものとして制限をかけていく。やりたくてもやらせてくれない。労働を希少価値とし、むしろ会社で働けることがステータスの時代に。

そんな時代が巡り巡ってくるのかもしれないかなと妄想してます。

それではまた。

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