[雑記]キエーロを素手でかき混ぜてみた~触れてこそ分かるあれこれ~

今回の記事は、直接触れることの重要性を再認識したというお話です。

きっかけとなった本

最近、このような本を読んでいます。

内容は、日本で初めてりんごの無農薬栽培を成功させた木村さんと、掃除を徹底することでイエローハットという会社を創業・発展させた鍵山さん。このお二人の対談本です。

木村さんは土の中やりんごの心、鍵山さんは掃除で磨かれる人の心。それぞれ目に見えないものと向き合い、その大切さを本の中で語っています。

この本を読んで、猛烈に「土に触れねば!」という衝動に駆られました。しかしぼくには好きに土をさわれる畑が無い。…と思ったところで、ありました。好きにいじれる土が。

それがキエーロでした。

素手でキエーロをいじる

というわけで、早速手を突っ込みます。

何のために手を突っ込むのか。そんなの理由なんかありません。とにかく触れてみたい。その一心でした。

素手のほうが移植ベラを使うよりもずっと楽に掘り返せる

そうやって直接キエーロに触れてみて、土の感触に触れて気付いたんです。

生ゴミの感触を感じないことに。

さらに、生ゴミの匂いもしないことも。

キエーロを始めてから、いじるときはいつも移植ベラを使っていました。移植ベラで掘り返して、目で生ごみが無くなったかどうかを確認。

しかし一方で、土の硬さも匂いも感じた記憶がありません。目の前に、すぐそこにあるのに匂いがどうなのかすら気付いていなかった。そのことに愕然としました。

触れて初めて感触と匂いを知る

生ゴミを入れたであろうキエーロの中は、生ゴミでぐちゃぐちゃじゃないか。

腐った生ゴミも入れたから、においもヒドイものじゃないか。

そう思っていたキエーロの中は、昔弄っていた実家の畑の土とそのまんま同じでした。

最初にキエーロを始めた時、腐葉土を混ぜていたんですがその腐葉土の匂いだけ。生ごみの匂いは全然しません。

感触もそう。腐って溶けた野菜の感触も無い。確かな土の感触だけが返ってきます。

ついでに生ゴミも素手で入れます
素手で土と生ゴミをまぜまぜ

そういえば、キエーロの湿り具合は、土を握って固まりになるくらいがちょうどいいんだとか。

確かに固まりました。少し前に水を入れたんですが、ちょうどよかったようです。しかしそんなチェックの方法も、知っているだけで実践せず。

触れるだけで、こんなにも多くの情報を得ることができる。目で見たり、耳で聞くだけでは得られない情報がそこにありました。

そう思うと、ネット上の目で見るだけ・耳で聞くだけの情報で知った気になっている自分が恥ずかしくなってきました。

見えなくても感じることはできる

触れて分かること。あるいは触れることを通して分かることがある。

床を水拭きしていると、汚れがある場所は凹凸があるのですぐわかります。しかしこれも、モップ越しでは気付きにくい。直接触れる、あるいは布一枚挟んだ程度でなければ分かりません。

本著の中では、情報社会への警鐘として消費期限・賞味期限にも言及しています。あんなものがついたことで、食べちゃダメなもの、食べても大丈夫なものが、自分で判断できなくなってしまったと。

思い出すのは、デスマフィンの件。聞けば、納豆のようなにおいがしたとか。驚くべきはそんなものを食べた人がいるということです。マフィンで納豆の匂いがしたのに、食べて大丈夫かどうか、その判断もできない人が今の世の中にはいることに驚かされます。

昔、お店で買ったまんじゅうが傷んでいたことがあります。

食べた瞬間、すっぱかったのを覚えています。すぐに吐き出し、かじった断面を見たら、なんとあんこの中に白い物が。品名はただのまんじゅう。いちご大福とかではありません。きっとカビだったのでしょう。しかもそのまんじゅう、お店で買ったのは前日だったはず。

自分で感じること。そして感じたものを自分が信じること。変な臭いがしたと思えば、その臭いを感じた自分の鼻や舌を信じ、食べてはまずいと判断する。

そうやって、自分の身を自分で守ることは最低限必要なことだと思います。

キエーロに触れて、目に見えないものを知ることの大切さ。目に見えるものばかりに踊らされて、目に見えないものを信用しないことの愚かさを感じました。

それではまた。

二人の笑顔の表紙が素敵です。こんなに柔らかな笑顔を見たのはいつ以来でしょうか…

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