[雑記]個性って何だろう?

ふと、個性について考えます。

個性がやたら取り沙汰されている昨今ですが、今世の中で言われている個性とは本当に個性というものなのでしょうか?どうにも違和感を覚えます。

違和感があるのは、人と違うということに焦点が当たりすぎている気がします。確かに個性がある人は、他人とは違う何かがあるように見えます。ですが、だからといって最初から他人と違うことを求めていいのか?

そうして考えた上でぼくが一旦出した結論は、「個性とは究極の自己中」というものです。一旦というのは、この先考えが変わるかもしれないので仮の結論としておきます。

ここからはその結論に至った考えを述べていきます。

落語家は徹底的に模倣させられる

個性について、ある落語家が話していた一節があります。それは以下の内容です。

師匠は弟子に落語を徹底的に真似させる。一切のオリジナルや付け加えを許さない。話し方や口調、間の取り方まで徹底的に。そうして何もかも真似させて、それでもにじみ出てきてしまうのが個性というもの…だそうです。

つまるところ、個性とはどんなに消そうとしたところで消しきれるものではない。だから、わざわざ個性を出そうなどと考える必要は無いということ。

個性についてこの落語家の話を聞いた時、なるほどと思いました。確かに落語家は師匠より受け継いだ小噺をそのまましている気がします。あまり落語自体は聞かないのでイメージですが…

じゃあ誰の落語を聞いても同じかと言うとそういうわけでもない。あの人のは面白かったけど、こっちの人のはなんとなく面白くない。その差が、個性なのではないかと思います。

わざわざ個性を意識しなくても、個性は勝手ににじみ出てくるもの。完璧に真似したつもりでも、どこかに真似したくない自分が出てくる。そんな自己中な点が個性なのではないかと思います。

『個性がある』と見るかどうかは注目度の違い

次に考えるのは、人と違うことが個性なのか、ということです。

確かに個性がある人は、他の人とは何か違う。そのように感じますが、果たして本当にそうなのでしょうか?

例えば今自分の隣にいる人、あるいはパッと思いつく人。そういった人は、個性がない人でしょうか?そんなことはないはずです。よくよく考えれば普通の人のようで、でも他の人とは〇〇な点が違う。そんな点がいくつも思いつくでしょう。

その人がどんな人なのかを知っていればいるほど、その人が他の人と違う個性ある人であることは見えてきます。つまり、その人をどれだけ『視ているか』が他人を個性がある人とない人と区別しているのではないでしょうか。

はっきり言えば、よく知らない人はその他大勢の個性が無い人にすぎませんが、良く知ってる人なら個性のある一人と見る。有名芸能人は個性があると思うのは、それだけテレビや動画でよく見ているから。

他人を個性が無いと批判する人は、単純にその人のことを何も知らないと言っているのと同じことだと思います。

前述した落語家で、個性とはにじみ出てくるものだという話をしました。このにじみ出てくるという表現は落語家らしく、それでいて適切だと感じます。はっきりと表に出てくるわけではないが、よく見れば分かる。それが個性というものなのでしょう。

個性のあるなしは、その人の問題ではない。その人をよく知らない人間の勝手な判断にすぎません。個性について当人が悩む必要は無く、むしろ悩めば悩むほど個性が出てきづらくなる。

次は、個性を考えれば考えるほど、個性は出てこないということについて考えを述べていきます。

個性を意識すればするほど個性が無くなる

個性を意識してしまうとどうなるでしょうか?

陥りやすい罠が、他人と比べてどうなのか?という意識になってしまうことです。自分がどうしたいか?ではありません。

他人と違うことが個性であるなら、他人と比べなくてはいけません。つまり、個性を意識するということは他人を意識するということであり、そこには自分がどうしたいかという点は消えてしまいます。

ここで個性がある人を見ると、確かに他人とは違う点があります。しかし、かといって何もかも違うわけではなりません。同じ点も多くあります。個性がある人ほど、実は誰かの模倣や教えを受けている、あるいは影響を受けているなど、個性とは程遠い状態にあるように見えます。

そして、真似したことなどを自分流に塗りつぶし、活用しています。

そういった点から、個性とは「自分ならこうする」という自己中とも考えられます。全くの0から考えるのではなく、真似していく中で自分なりのやり方を付け加えていく。

しかし、最初から他人を意識して個性を出そうとすれば、この自己中的な考え方は生まれてきません。他人中心的考えと言っていいでしょう。違う点にこだわるあまり、自分がどうしたいかは出てこない。

これをある意味では個性と見えなくもないですが、一番の問題はその他人中心的考えから生まれた内容を、自分がやりたいのかということです。ぼくだったらやりたくないです。

個性を意識した人が挫折していくのはこれが原因だと思います。他人と違うことをしようとするあまり、やりたくないことを始めてしまう。次第に疲れ、辞めていく。

個性は究極の自己中

ここまでの考え方をまとめます。

  • どんなに真似してもにじみ出るのが個性
  • 個性の有る無しは他人の評価でしかない
  • 個性を意識することは他人中心的な考えに陥る
  • 個性とは「自分ならこうする」という自己中

これらの考えをまとめたとき、個性とは究極の自己中であるという結論を出しました。

個性とは、自分がやりたいことを徹底的に突き詰めたもの。それが、他人と違うかそれとも真似なのかはどうでもいいこと。ただただ自分だけを中心に考える。ゆえに、ただの自己中ではなく、究極の自己中と称しました。

結局のところ、個性を意識していない人ほど、個性が強い。そのような気がします。逆に個性を意識している人ほど、個性が弱い。それは自分のやりたいことではないことをやっているから。個性を意識することが、一番個性から遠ざかってしまうというのは何とも皮肉な気がします。

ぼく的には、『個性』という考えを手放すのが最も個性を伸ばすことに繋がるかと思います。

ただそれが難しい場合は、人と同じことや違うことについて一切気にしないように努める。真似したいことはどんどん真似し、「自分ならこうする」でどんどん塗りつぶす。そうやって自分なら~の道の先に、他人から『個性がある人』という評価がある。そのようにぼくは考えます。

ミニマリズムは個性を伸ばす考え方

そのように考えますと、ミニマリズムは個性を伸ばす考え方でもあると思います。

ミニマリズムは「自分がどうしたいか?」ということを問う、ある意味自己中的な考え方です。他人からどう思われるかよりも、自分がどうしたいのか。

他人が見てもったいない・捨ててはいけないという物を、自分軸で捨てたり手放す。ミニマリストというと物を捨てる人に見られることが多いですが、そこに他人の目を気にしない訓練のような効果も含まれています。

物は生活を送る上でとても重要です。しかも、人によって何が必要なのかが違う。なので、他人目線で物を捨てると、ほぼ失敗します。それだけに他人目線で考えた場合の悪影響をもろに受けるので、自分軸で考える重要性を学ぶことができます。

個性で悩む人は、おそらく自分のやりたいことと他人が要求していることがごっちゃになっているのではないかと思います。そういう方は、ミニマリズムを通して自分軸を思い出してみてはいかがでしょうか?

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それではまた。

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