今回は、見た目を気にしないことと汚いことは同じではないというお話です。
つくづく自分の部屋を眺めていると、あることを実感します。
それは、部屋にこだわりが無いということ。
例えば作業机は、木製の天板のスタンディングデスクにオフィスチェア。足置き用に収納スツール。
白い壁には一切の壁掛けがありません。鑑賞物が一切無いのが、ある意味では特徴です。
白いフレームの折り畳みハンガーラックがあるかと思えば、
黒い突っ張りポールハンガーを使っている。
この辺は、モノクロであればどちらでも構わないという感じです。統一性などあまり気にせず、原色など派手な色が好きではないというだけで選んでいます。
部屋をどうしたいか、どう見てほしいか。そういった願望が全然浮かんできません。
振り返ると、ある時期には鑑賞物など部屋の見た目を気にした時期もありました。しかし、長続きはしていません。
ある時は部屋にハーバリウムを飾るのに凝った時期があります。ハーバリウムとは、ガラスの瓶にドライフラワーとオイルを入れて眺める鑑賞物です。
部屋に10数本あったこともありますが、ある時に全て捨てました。捨てた理由は、「1年も経つと色が落ちてくる」と聞いた瞬間に一気に価値を感じなくなったからです。
しかし今思えば、集めるために花屋や手作りマルシェなど渡り歩きましたが、肝心の買ってからはほぼ放置でした。わざわざ眺めることもせず、ただ棚の上に置きっぱなし。掃除をするのに割ったら大変だという気持ちしかなかったです。
部屋で眺めるため、インテリアとして買ったのではなく、探す事・買う事自体が目的だったように思います。
少し前には無印の観葉植物を飾っていたこともあります。が、それも今はもう無し。ジモティーで売りました。手入れをするのがただただ面倒なだけでした。
そして今は、ひび割れたキントーのコップです。
去年の9月にひび割れしましたが、以後もずっと使い続けています。だんだんとヒビが進行してますが、水漏れするわけじゃないので普通に使っています。
こうして振り返ると、自分はつくづく見た目を気にしないなと実感します。色もデザインも、インテリアも気にしないし、むしろ無いほうがいい。破損していても使えるなら問題ない。
しかし、だからといって汚れているのも気にならないかというと、全くそんなことはありません。
床は毎日掃き掃除をし、トイレも大をするたびに掃除。おかげで入居5年目ですが、便器にサボったリングがありません。
棚にホコリが溜まれば気になって拭くし、机の上に余計なものが載っているとすぐ片づけます。
世の中を見ていると、見た目を気にしない=不潔というイメージがあるような気がします。
ぼくの場合、確かに見た目は気にしません。だが不潔ではないと思ってます。それは、見た目よりもずっと気にしていることがあるからだと思います。
それは実用性。使い勝手こそが最も優先すべきことだと考えています。その上で汚れの存在とは、とても実用性を欠くものです。
汚れていると、汚れは不衛生ですから体調不良や病気に繋がります。病気になって動けなくなることは、実用性を欠いています。汚れた場所を放っておけば作業スペースが減り、作業効率は下がります。
自分自身の見た目についても同様です。見た目はどうでもいいです。ですが、その見た目によってチャンスを逃すようなことは、実用性に欠けています。ですから、見た目を気にしなくても寝ぐせは直す、ヒゲは整える、爪は切るといったことをします。ある程度の清潔感は作ります。
見た目を気にしない。
確かにその言葉そのものには同意します。しかし、だからといって不便やチャンスを逃すような見た目は許容しません。実用性を優先して考えれば、見た目を気にしなくても最低限損はしない見た目にはなる。
見た目を気にしないからといって、自分が損をするような見た目にはならないように気を付けていきたいと思います。
それではまた。
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