[雑記]ミニマリストは『持たない人』ではなく『手放した人』説を唱えたい

今回の記事は、ミニマリストとは『手放した人』というイメージを広げたいというものです。

ミニマリストと言えば、持ち物が少ない人というのが世間一般のイメージかと思います。

確かに現状の姿だけを見るなら、そのイメージは間違っていない。しかし、持ち物が少ないことがミニマリストとしての在りようかというと、どうも納得がいきません。そこでちょっと考察してみました。

例えば、単純に持ち物が少ない時代といえば、いつを思い浮かべるでしょうか。ぼくは戦後を思い浮かべます。戦後の焼け野原というように、戦争を終え家屋は焼き払われ、何も物が無い時代。

そんな時代に「物が少ないことは良いことだ」などと言えるでしょうか?

もちろん、その時代は必要最低限の物すら無い時代です。ですが、その後復興していくことで生きるために必要最低限の物は揃っていきます。そしてだんだんと、洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビが『3種の神器』と呼ばれ、さらに新3種の神器としてカラーテレビ・クーラー・車の『3C』が必要な物となっていきます。

こういった状況を振り返りますと、当時の必需品とされたものを現代に持っていないというミニマリストは少なくありません。テレビは多くのミニマリストが持っていませんし、車も要らないという人もいます。洗濯機、冷蔵庫をもたないという方も。

では、まだ3種の神器が出回る前の時代の人々と、現代でそれらを手放したミニマリストは同じと言えるのでしょうか?

最初から持っていない人と、一度所有したうえで手放した人。姿だけをみれば同じですが、その過程は大きく異なります。持っていない人と、あえて持たない人。その違いが、ミニマリストとしての在りように違いを生んでいるのではないかと思います。

イソップ童話には、「すっぱいぶどう」という話があります。キツネがなかなかとれないぶどうを前に、「あれはすっぱいぶどうだから食べる価値は無い」と自分に言い聞かせて、諦めるお話。

ミニマリストもそれと同じでしょうか?そうではないと思います。ミニマリストは、そのブドウを食べてすっぱいと分かっているから、「あれはすっぱいぶどうだから食べる価値は無い」と言う。

物についても同じだと思います。買えない・持てないから諦めるのではなく、一度所有したうえで必要が無いと分かった。だから持っていない。

最初から持たない人なのではなく、手放した人。持たなくていいと肩ひじを張るのではなく、要らないんだと肩が下りている。

それが、ミニマリストとして見てもらいたい姿だと思います。

それではまた。

所有をしたうえで手放してきた失敗リスト↓

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