[雑記]手塩にかけて自分を世話する

今回は実際に手に塩につけて自分の世話をしているというお話。

週に1回、漬物壺が空いたタイミングで次の漬物を仕込みます。
野菜を切って、壺に入れます。

そうしたらたっぷりの塩を入れて…

混ぜ込みます。直接手で。

全体に塩をなじませます。

あとは重石を載せて待つだけ。

こうして手で混ぜ込む作業は、前まで使っていた漬物容器ではやっていませんでした。バネによる圧縮が強いため、塩を振りかけるだけで十分だったからです。

↑以前使っていた漬物容器。壊してしまい、もう今はありません。
関連記事→[雑記]浪漫の重石

今は重石を使っているのですが、塩を振りかけただけでは重石を載せてもうまく漬かりませんでした。重石だけでは圧縮が弱くて野菜から水分が出にくく、塩が全体になじまないからです。

なので、今は直接手で全体を混ぜ合わせるというひと手間を加えています。こうすると全体に塩がなじんで水分が出やすくなり、野菜が自分から出た水分に浸かり、発酵してくれます。

発酵するために必要な菌はいわゆる嫌気性菌というものらしく、空気に触れているとあまり発酵しません。それどころか発酵ではなく腐敗が進んでしまう。ですので、野菜が水分に沈むかどうかはとても重要。沈むまではこまめにチェックします。

野菜からでた水分で重石まで漬かっていればもう安心。あとは発酵を待ちます。

こうやって手に塩を付けて漬物を作っていたら、ふと『手塩に掛ける』ということわざを思い出しました。まさしく手塩にかけた漬物づくり。その漬物がうまくないわけがありません。

しかし改めて思ったのは、『手塩に掛ける』ということわざの由来とはなんなのか。意味は大事に育てるとかと言う風に解釈してますが、語源までは知りません。

なので調べてみたところ、↓のようです。

江戸時代には、味加減を調えるために少量の塩を添えるようになりました。…やがて手塩と略され、少量の手塩で料理を自分好みの味付けにしていたことから転じて、自ら世話をして面倒をみることを手塩にかけると表現するようになったとされます

引用元:小学館「「手塩にかける」はどう使う?|意味や〝意外と知らない由来〟使い方などを解説」

自分好みにするために、他人ではなく自分の手を使う。そういった一手間を惜しまない姿勢なのですね。

今のぼくの生活を振り返って思うのは、この一手間を惜しまないことが生活の満足感を高めているように感じます。塩加減を調節するための一つまみ。一つまみのような一手間が、大事なのではないかと思います。

塩加減が物足りないと少しの不満を感じたまま料理を食べるよりも、ちょっと塩が手に付いてもその不満を払拭したうえで料理を味わう。

一つまみの塩を入れる。そんな一手間がぼくにとっては何なのか、少し考えてみました。

  • 布団は起きたら仕舞う
  • 洗濯物は手で干す
  • 干せた洗濯物はクローゼットなど仕舞うべき場所に仕舞う
  • 床の掃き掃除は毎日(3分で終わる)
  • トイレは大をしたらすぐ洗浄
  • 物は置くべき場所に都度戻す
  • 近い場所なら車を使わず自分の足で歩く

ざっとこんなところでしょうか。

他人から与えられた物が、そのままで満足できるならそれでよし。けれど、何か物足りないと感じたなら、その物足りなさは自分で埋める。大げさでもなんでもない、そのちょっとの一手間が、生活に満足感を与えてくれるんだと思います。

それではまた。

一手間を加えたいけど、そんな時間が無い!という方には↓の記事がオススメです。
時間の作り方 何からやめたらいい?ミニマリスト流時間製造術

使っている漬物壺↓

見た目とサイズがグッドです。

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